2019-04

水彩画

水彩画を描く

平成最後の日は雨で寒い日になったので外出はせずに読書と水彩画を描いた。水彩画の方は紫陽花が咲く時期になるので昨年にデッサンのみで未完成のままだった絵を引っ張り出して彩色してみた。初めてマスキング液を使って彩色したのだが剥がしてみたら思ったよ...
日記

田植えが心配だ

今年は降雪量が少なく降雨も少なかったせいかサビ川の水量が例年より少ない。朝のウォーキング時毎朝眺めているがこの地域ではGW中には田植えは終わるのだが今年は遅れている。これで田植えが出来るのか心配になって来た。カウンター スクリプト
日記

雲岩寺の近くで和紅茶「雲巌の静謐」を味わった

ニュースで雲巌寺のそばに、築100年以上の古民家を活用した縁側カフェ「夏木立」が三日間の限定で地元で作った和紅茶の「雲巌の静謐(せいひつ)」を振る舞うと出ていた。訪れる人にくつろぎの場を提供し、緑豊かな地域の良さを感じてもらおうと、住民有志...
ひとり旅

ホームページの作成

「高野山・ひとり旅」のページの製作は今日も続けている、文章力の無さがうらめしい、間違いや文章の修正が続いている。高野山を歩いて一番感じたことは「人間の偉大さ」と「自然と宗教の一体感」だが、どのように表現すればよいのか考えてしまう。歳は重ねて...
パソコン・スマホ

ひとり旅のHP作りで一日過ごした

先週の高野山・ひとり旅のホームページを記憶が無くならい内に作ろうと今日から作業にかかった。まず三日間の行動と印象が主体だが、歴史的建造物の説明は検索すれば沢山出てくるので全て省略して名称だけにしよう。写真のスライドショーとしてまとめるのが最...
日記

立派な企業幹部になった

今日は40年前から付き合っている中小企業の会長の息子に出会っていろいろな話を聞いた。久しぶりの面談だった。この息子が20代の時はレーシングカー関係の仕事に夢中になり、いつも当時の社長に合えば息子のことで心配していた。小なりとはいえ起業して従...
水彩画

野外写生会の日

早朝にメール連絡が来て今日のセピアの会は野外写生会をするという。場所は近くの那須野が原公園であった。現地に着くとソメイヨシノ桜も終わり遅咲きの桜と桃の花が新緑の中に咲いている、写生の前に先生から風景を写真と同じように描くのでは無く、感じた事...
水彩画

透明水彩画を描く

先日は天候悪化でセピアの会の屋外写生会が中止になり屋内で静物画を描いたがスケッチだけで彩色が出来なかった。明日はセピアの会の予定日なので自宅でスケッチしたものを彩色した。しかし白いテーブルクロスの柔らかさは一体どんな風に描けばよいのだろうか...
コーラス

月曜日は忙しい日

朝のウォーキングでは田植えの準備が終わり、いよいよ稲が植えられる風景になった。午後は韓国語教室、その後はコーラスの練習があるので月曜日は忙しい日だが楽しい日でもある。韓国語の教室では高野山一人旅の中身を話してそれを韓国語で話し纏めることをし...
ひとり旅

次の「ひとり旅」はどこに?

旅にもいろいろある、山歩きが費用もかからないし健康の維持にも良いのだが80歳という年齢を考えると制約がある。もし心臓病の再発が起こった場合のリスクも考えて置かねばならない。勝手気ままに歩く一人旅は無理をせず、旅の途中で疲れたら休めば良いし「...
ひとり旅

高野山「ひとり旅」が終わって感じたこと

高野山は弘法大師・空海が開いた日本を代表する真言密教の聖地だから巡礼者や高齢者などがお参りのために宿坊に泊まり朝のお勤めに参加したり、座禅や写経などの修行ができたり精進料理も味わえるというイメージが強かった。実際に体験した内容は殆ど事前の予...
ひとり旅

大阪城を訪ねた

大阪城は高校の修学旅行で来て以来だから半世紀ぶりという事になる。不思議な事に大手門入り口付近の大石は当時から今まで鮮明に憶えている。今日、大石垣と再開したが当時もどうして、どこから、どの様にして作ったのかと同じ思いで眺めていた。鉄筋コンクリ...
ひとり旅

司馬遼太郎記念館を訪ねた

近鉄、「八戸(やえ)の里駅」降りて約10分の場所にある「司馬遼太郎記念館」を訪ねた。この記念館は、司馬遼太郎氏の仕事を顕彰する記念館と、建築家の安藤忠雄氏が設計した建築物を鑑賞出来る記念館でした。新緑の雑木林の中の建物に入ると上部から柔らか...
ひとり旅

高野山を十分に味わった

高野山では二泊違う宿坊に泊まったので時間をかけてゆっくりと多くの歴史的建物、国宝、重文など見て回る事が出来た。宿坊に泊まるのは初めてだったが普通の旅館に宿泊するのとあまり変わらず精進料理は美味しく、風呂もトイレも綺麗だった。朝6時30分から...
ひとり旅

高野山の「生身供」を見ました

高野山の奥之院では弘法大師は今も生きて瞑想を続けているとされていて、毎日朝の6時と10時半の二回食事が届けられている。偶然に「生身供(しょうじんぐ)」と呼ばれるその儀式を見ることが出来た。