なす風土記サロン

第三回目の「なす風土記サロン」は地域に生きた初代大田原市長の藤田吉享氏の人物について歴史民族資料館の学芸員の宮沢友美氏が調査した内容の講演があったので聴講して来た。

明治4年に廃藩置県が行われ県北の一部が「大田原県」として誕生した、その後の明治22年に「大田原町」となり初代町長として就任したのが藤田吉享だった。

この人は幕末から明治という激動の時代に生き抜き大田原の基盤作りに尽力したという、戊申戦争にも参加し、その後は足尾鉱毒事件で有名な‎田中正造との交流や栃木県令の三島通庸の方針に反抗したりしてリーダーとして気骨があった人物のようだった。

現在では県内有数の進学校になっている大田原女子高等学校を明治42年に設立し初代の校長にもなっている。

この人物に関する資料を細かく調べ、そこから浮かび上がる人物像の話は他県から移り住んだ者にとって非常に興味があった。

「義を重んじ、困っている人には施しを惜しまなかった」いい伝わっている人物であるという話もあったが、明治の人が持っていた武士道を身をもって実行したのかもしれないと思いめぐらした。

当時の大田原市市民の生活状況なども含めた続編を望んでいる。

それにしても部屋が寒かった、省エネ対策なのか、温度調整装置が故障なのか?

なす風土記サロンの内容