サビ川沿いのウォーキング中に前の方から3人が手をつないで歩いてくる姿が見えた。近づいて来ると両側から両親と思われる人が真ん中の子供の手をつないで通り過ぎた。
挨拶を交わしたが、真ん中の子供はあきらかにダウン症のような障害者の歩き方であった。しかし寒い中だが屋外であるのが非常に嬉しそうで左右に首を振りながら空を仰いで歩いて行った。
両親は50歳前後であろうか、しっかり子供の手を引いていた。両親が子供を愛し、いとしんでいることも間違いのない真実。けれどしんどいことも紛れもない真実と思った。
私がすれ違った子供の親だったらどうだろうか考えた。
子供の将来を悲観して絶望するだろう。しかし一生面倒をみながら生きていくのが辛いなら、別の考え方をするしかない。小さな幸せを見つけて、果たして日々できるだけ笑顔で過ごして行けるだろうか?
世の中に生まれた以上要る人、要らない人なっていない、私だっていつ認知症で人の助けがなければ生きられなくなるかもしれないのだ。
社会的弱者がささやかな幸せを求めて暮らせる社会を作ってゆく以外ない。
ベストセラー書籍に「置かれた場所で咲きなさい」というのがあるが「境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる」という言葉があった。結局は「人は人、自分は自分」周りと比べて「辛い辛い」と嘆いていてもなんの得にもならない。
与えられた命だ、現実を認めて「柳のような強さ」で一緒に生きて行こうと思いながら家路を急いだ。
コメント
渡辺和子さんの著作はいくつか読みましたが凡人には・・・・