間質性肺炎の進行を止める「オフェブ」という薬の副作用の下痢に悩まされている日が続くと「生きていてよかった」という心境にはなかなかなれない。
そんな時にフト生成AIに「生きがいとは何か?}と問い合わせたら・・・生きがいは「人生を賭けた使命」のようなものでなく朝、庭の草花を見たり、好きな音楽(モーツァルトなど)を聴いたり、季節の移ろいを感じたり、誰かと少し言葉を交わすような小さな「楽しみ」や「心が動く瞬間」も、立派な生きがいだと答えてくれた。
そこで考えてみた、病気や体調の変化で、「以前の生きがいが遠くなる」ことがあっても、それは生きがいが変わる過程と考えれば良いのかもしれない。
今朝の出来ごとだが一合炊きの炊飯器で炊いた湯気が立ち上がるご飯と味噌汁が美味しく食べられた。このことは体調が思うように行かなかった時期を経て、体調が回復してきた証であると思った。
AIさんの、まとめとしては生きがいは、何かを成し遂げることではなく、日常をきちんと味わえることに宿り、自分の体と心に合った朝があることが、尊いのです。
朝食の時間、少しでも「ありがたいな」「悪くないな」と感じられるなら、それはもう、生きがいが静かに息づいている時間であると結んでいる。
一合炊き炊飯器で炊いたご飯と味噌汁の話と江戸時代からの諺にある「味噌の医者殺し」の話をパソコン仲間に話した。
そうしたら仲間の一人から塩分を摂り過ぎないようにしないと現代では高血圧などのリスクがある話でもあると水をかけられた。仲間達と大笑いするときも一瞬の生きがいかもしれない。





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