外出がままならぬ現状では早朝のウォーキングは誰にも会わなくなったからウイルスにも会わない。
その後は天気が良ければ庭仕事、または家で読書か音楽を聴くか水彩画を描くしかなさそうだ。私が出来るコロナとの戦争は家に居ることしかできない。
本日、文藝春秋5月号が発売されるのでさっそく書店に出掛けた、まだまだコロナとの戦いは続きそうだから、興味がある本を4冊を一緒に購入した。
中でも浅田次郎著の「流人道中記(上・下)」が面白うそうで家の戻ってこちらから読み始めた。
時は「桜田門外の変」の後の幕末で徳川政権瓦解まで残り十年足らずの時代を舞台に、姦通の罪を犯したという旗本・青山玄蕃が蝦夷松前藩への流罪判決が下り、押送人に選ばれた十九歳の見習与力・石川乙次郎の二人の奥州街道の道中記である。
「宇都宮宿の追分から北に向かい佐久山の宿場で一泊して大田原の宿で馬を捨て日照り続きで水かさの減った那珂川を徒渡りした。二人はこの後に芦野宿に泊る。28代当主芦野中務は身分は旗本で格式は大名、領分は三千石」などの当時の付近の記述があったり・・・
「ああ、那須の山々の何と美しいことか。こうしたふるさとの景色を持つ者は幸せだ。
江戸にはそれがない。」というのもあったりで大田原に住んでいる者として身近に感じた。
重罪人であるはずの青山玄蕃が旅路を重ねるうちに道中で遭遇した事件を巧みに裁く玄蕃の姿が息子に経験を積ませる父親のように振る舞っている感じがした。
芦野宿でもひと悶着あったが青山玄蕃の解決する思慮深さ、知力、優しさのある人間性などが魅力的で面白く引き込まれてしまった。
読んで感じたのは時代小説の体を取りながらも、描かれている玄蕃の言動は現代にも置き換えることが出来る面がある。
仙台藩ではたまたま同行した仇討のために7年も浮浪している武士と雲水になった仇討相手が偶然出会ったところで上編が終わった。
これから青山玄蕃がどんなふうにかかわりってゆくのか、また青山玄蕃の罪とはなどが興味がある。