老いを考える

老いると、体とともに心も老けていく。自分かと思うほど容貌が衰えている姿を鏡の中に発見する時もあった。出会った人の名前が思い出せない、TVニュースの音量が低いと感じるようになった。

まだある、新しい横文字言葉が分からない、周囲から老人扱いされ車の免許証の返上の話しが出る。・・・これらは当たり前のことなのだ、不機嫌に閉じこもるのではなく、老いの現実を受け入れよう。

誰が話したのか忘れたが「老いるということは自己の能力の衰退・喪失の変化を、自尊心を持って受け容れるプロセスだ」とあった。

最近、歩く速さが遅くなった。朝のウォーキングでは後ろから来る人に追い越される。だから東京の雑踏を歩いて右に左によけて歩いて帰るとすっかり疲れ切ってしまう。

パソコン仲間と数年前にマウスアート(Wordで絵描き)を夢中で学んだ。この時はこのような画像をパソコンで自由に描けた。

先日「昔取った杵柄」ではないがむかし勉強した描き方を先生役になって一緒に楽しんだ後にもっと複雑なものを描こうとした。

しかしマウスの動かし方が頭からの指示通りに動かせない、細かいカーブの図形などマウスポインタの動きの設定を変えても図形が崩れてしまって途中で止めた。

昔は描けたパソコン画

老いの現実に寄り添い、老いた自分を直視して、これまでとは違う生き方をと思うようになった。

持病の心臓病は人間には自分を癒やす力があるはず、病気を治すのは自分自身で、医者や薬はその手助けをしていると考えて運動と食事は最重要と考えて実行する。

日常の動作がゆっくりしたおかげで良いこともある。朝の空の色や雲の動きを楽しむことや川辺の草や花などの変化をゆっくり見られるようになった。風が運んでくる花の匂い、小さな鳥の声に気づくことも増えた。

老いにはネガティブな要素が沢山あるが老いの現実を受け入れ長い旅路の果てに輝けることを信じて、自然治癒力、青春の心で学び、日常生活では出来だけ明るい色の服でおしゃれをしてゆっくりと歩こう。

ネットにあった「老いの名言」

「人生の黄金時代は老いて行く将来にあり、過ぎ去った若年無知の時代にあるにあらず」
「林語堂(中国の作家・言語学者、1895~1976)・・・。

シニア同士の絆も必要