新聞の「おくやみ欄」に思う

新聞を地方紙に切り替えてから数年が経った。一向に不便でもないし情報不足感も感じないのは老化現象で世間の変化に関心が薄くなったと時々思う時もあるが、実際にはネット情報もあるし内外の変化には関心や興味がまだ大いにある。

地方紙にに切り替えた理由の一つに、「おくやみ欄」の詳しい内容が掲載されていることだった。若い時はまったく関心がなかった新聞の訃報欄、70歳台に入ってからは目を通すようになった。

「おくやみ欄」で自分より年下の訃報は気になるものである。会ったこともない人だが、思い残すことはなかっただろうかとか、無念だっただろなどと思ってしまう。

自分自身は長生きしたいという執着はない、淡々と生きて、いつかは死ぬ、そう思うから生きていける、新聞の「おくやみ欄」を見た後にいつも思うことである。

毎朝のウォーキングで出会うアメ地蔵様