思い立って半世紀近く疎遠になっている生まれ故郷の高崎市の郊外を歩いて来た。
駅舎も町並みもすっかり変っていた、苦しい生活しか思い出に残っていない借家も無くなり、家の近くに流れていた小川で夏に泳いだことがあった川も道路になっていた。
特に劇的に変ったのは烏川だった。砂山に流木で小屋を作ったり、置きバリと呼んでいた小魚を捕った烏川は人影も無く流域は野球場になっていたり、雑木林などに変っていた。
一面の畑はもう耕作者がいないのか僅かしか残っていなかった。今日の故郷歩きは懐かしさもあったが「故郷は遠くにあって思うもの」という感じもあった。