知人の死でショックだ

新聞は一昨年に全国紙から地元紙に変更したのは地元のニュースを読みたいからであった。

おくやみ欄はあまり見ないが家内は毎日必ず見ているようで、OOさんの訃報が出ているよ!と必ず見つけてくれる。最近は家族葬が増えて新聞欄への記載を断る人もも多くなって数か月後に亡くなったことを知るときもあった。

今朝、新聞を見ていた家内が「この人同じ会社にいた人かもしれない」と叫んだ、確かに住居や名前は同じだがまだ私より10歳近く若い彼が亡くなったとは思えない。

直ぐに別の知人にメールで確認したらやっぱりあの00さんが急死したのだった。

会社時代はお世話になったし、彼の奥さんとは昔から知っているし、昨年は自宅を訪問してゆっくり昔話をする計画もあった。ただなんとなく、この話は流れてしまっていた。

人生100年時代というのに最近私より若い知人が亡くなることが多くてショックが続いている。

生きとし生けるもの全てにとって、「死」は誰にも例外なく必ず訪れる。ましてや、自身と無関係でなどあろう筈がない。

ふと振り返るといずれ訪れる「死」を遠くに追いやり、生き甲斐探しを毎日求めている。

この世に何故生まれ、なぜ死ぬのかも分からぬまま、一日一日を過ごしている、これが人生というものか。