高齢期を生きる

令和元年、80歳という高齢期になると、多くの不安や悲しいことが出てくる、一緒に活動して
いた仲間が病気になったり友人の死、自分自身の心臓の再狭窄の心配などだが・・・生き物は、自然に衰え最期を迎えるのが等しく誰にでも訪れることだ。

最近の日常活動は年相応が一番と思っている。朝の6kmのウォーキングは毎日続けている、いつも出会う人達との挨拶、風景を眺めたり、自然の小さな変化や、朝雲の色や形の変化など小さな楽しみだが沢山ある。山登りも十分休養し体力に合わせてゆっくり登るつもりだ。

気力の衰えはあまり感じていない、まだ何かをやりたい気持ちが増しているような感じもする。これはおそらく、残り時間が短くなった人生を意識するようになったからかもしれない。

知力は確かに衰えた、なかなか記憶できないことが多くなった。韓国語の勉強会やコーラスの歌詞などなかなか記憶できないことが多くなった。その分は毎日たっぷりある時間を使って少しずつ覚え、忘れたらまたの繰り返し覚えれば良いことだと思っている。

世代の違う人達との会話はこころの薬となるような気がする、聴くこと、話すこと、少し人の役に立つことなどは新鮮な充実感が味わえる。

これからの短い人生を自分がどのように生き抜くかを良く考て実行に移したい。

現在まで生きた来た時間はこれからの人生の準備期間であると考えて、今をしっかりと生き抜き、残る人々に何かを残して悠々とこの世を去りたいな。

早朝にひばりが一生懸命鳴いていた