「ハングルの旅」の再読

年末だから親しい友人と那須にある和牛ステーキハウスでランチをと思って出掛けた。

途中で今日は土曜だと気が付いて予約のため電話したら満席だった。次の店も満席、3軒目も満席、結局ステーキは食べられず焼肉になってしまった。これからは年末年始近くの土日は予約をしなければと反省した。

私が時々読んで生きる力を味わっている詩集は茨木のり子氏の詩である。薄っぺらな人生を歩んでいる私には茨木のり子の詩から凛とした生き方に刺激を受けている。

午後は茨木のり子氏が50代になってからハングルを学び、韓国への旅を巡るエッセイ集「ハングルの旅」を再度読んだ。

韓国への旅を通して、文化の違いなど感じたことを綴ったエッセイ集である。当時(昭和49年)は韓国語を学ぶひとが少なく「なぜ韓国語なの」とよく聞かれたそうだ。

ハングルを学んで面白いのは家は、家が、家に、家を、日本語なら「家」は同じなのにハングルは後に付く助詞次第で집은(チブン)、집이(チビィ)、집에(チベ)、집을(チブル)と子音と母音がぶっつかりあって科学変化を起こしてしまうと述べている。

これは別の言い方をすれば連音化だろう、今は大混乱の韓国だが当時の韓国の土地や文化への敬意と暖かい眼差しを感じる。この本はハングルに興味のある人の学ぶことへの後押しをしてくれるのではないかと思ってしまう。