一昨日長い時間ベットに横になっていると、いろいろ思い出すことがある。スマホの中にあった在日韓国人の崔華国氏が書いた「荒川」という詩もその中の一つだった。再度読んでもジーンときた、日本語とハングルの競演の詩なのだ。
「荒川」 作者:崔華国「チェ ファグク」
丈なす葦をかきわけ岸辺におりる
西瓜の匂いを含んだたそがれの川風は
姉(ヌナ)の裳(チマ)のようにやさしかった
葛飾の低い空もやさしかった
朽ちた伝馬船に寝っころがって目をとじよ
風が運んでくる
母と姉の囁きに耳をかたむけよう
サララ 生きるのだ
サララ 生きるのだ
チャララ 育つのだ
チャル チャララ 立派に育つのだ
サワラ 闘うのだ
サワサワ がんばれ がんばれ
チャラ おやすみ
チャル チャラ 安らかにおやすみ
日の長い夏の夕暮れ時。草の香を含んだ風が、ほてった頭を撫でていく。河川敷に無造作に置き去りにされた木舟に横になり、ゆったりとした流れと川面を渡る風の音に身をあずける。 かつてまどろみのなかで聴いた子守歌のように耳に届く、オモニとヌナの声、言葉、響き…。
もう遅いかもしれないが私も韓国語の勉強、もっともっと精を出さねば。
生まれ故郷の高崎市では私が高校生ぐらいの時に群馬交響楽団やクラシック喫茶「あすなろ」などの名前を度々聞いていたが、当時の私には別世界の話しだった。
後で知った事だが群馬交響楽団の設立にも関わり「あすなろ」のオーナーだった人が在日韓国人の崔華国氏だったのだ。