母の命日に思うこと

今日は母の42回目の命日だが、もう思い出も遠くなってきているが母に対する感謝の気持ちは強くなっている。

我慢強い母が便秘の辛さを口にするようになったのは妹の家に滞在して帰って来てからだ、家内と一緒に病院に通ったが治らず、他の胃腸専門医院に行ったらたら大腸がんが発見され、直ちに摘出手術をした。

しかしすでに肝臓に転移していて1年後に77歳で亡くなった。なぜもっと早く他の病院に行かなかったのか悔やまれた。この思いは時々よみがえる。

毎朝、仏壇に水とお茶を供え、ろうそくに火を灯し、お線香をあげて感謝の祈りをささげている。

父は私が6歳の終戦の時に病死しているので父の面影は殆ど残っていない。兄、姉二人、妹二人の子供を戦後の苦しい生活を生き抜いた人だった。

不幸にも兄が31歳で病死した、残った5人兄弟を蚊帳の修理や販売で必死に働いて育てくれた。姉二人も既に亡く、今では老いた私と妹が残っているのみである。

母への感謝の気持ちや思い出を大切にし、誠実に一生懸命に生きた姿勢や価値観は、私にとっては宝物となっている。

数少ない母の写真(50~60歳?)

コメント

  1. YUKO より:

    まさに、私の記憶の中にあるおばあちゃんです。今日が命日なのですね、心の中でお祈りしました。