若い時はあまり年齢を考えたことはなかった。還暦や喜寿記念日を経験してから自分の年齢をかなり意識するようになった。
新聞のお悔やみ欄などで亡くなった年齢を見てまだ若いのに残念だなぁと考えるが、この若いというのは自分と比較して若いという意味になる。
お互いの年齢を聞くのは自身の位置付けを考える指標になるのだ。TVニュースで登場する人の年齢を聞くと、すぐに自分の年齢と比較して、その容貌に落胆したり、優越感を感じたりすることがある。
病院内で待ち時間の会話でも日常の健康法や食事や薬の話の中に年齢が加味される事が多い。
今朝のウォーキングは寒く風があったので街中を歩いた。こんな日でも歩く人が居る、かなり年配の人から声がかかり挨拶した後はしばらくコロナ話しをしてから年齢を聞かれた。お互いの年齢を公開をしたら相手が3歳私より若かった。
見かけは私より年配だろうと感じたので密かに優越感を覚えた。
しかし、他人の年齢に一喜一憂するのは馬鹿げている。もっと年齢を忘れて打ち込めるような生き方ってあるかな?
あるとしたら「老いらくの恋」ぐらいか。無理だろうな。