湯津上地区にある光丸山法輪寺の西行桜(樹齢800年)がNHKニュースで見頃情報があった。
昨日はもう早いもので満開を過ぎて少し散り始めていた。
散ってゆく花びらを眺め、茨木のり子の詩「さくら」の一節を思い出した。
さくらふぶきの下を
ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と
落ち葉や桜の花が散るように、すべてのことに執着心がなくなる時がくる。
その覚悟が必要だ。
「さくら」作:茨木のり子(1992年作)
ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
据えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を
ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と