上侍塚古墳の発掘現地説明会に出席した

栃木県の「いにしえのとちぎ発見どき土器わく湧くプロジェクト」という長〜い事業名のもとに地元大田原市にある上侍塚古墳(前方後方墳)を発掘中である。

この近くには下侍塚古墳がある、両古墳とも江戸時代に水戸光圀公が一度発掘して元に埋め戻したと記録にある。

今日は残雪が残る寒い中であるが午前の部には中高齢者ばかり20人ぐらいの出席者があった。午後もあるので100名近くの人が出席するようだ。(翌日の地元下野新聞には230名が出席とあった)

古墳を一回りしながら周辺のトレンチ部の発掘状況を県の責任者から説明があった。江戸時代の地表と築造当時の地表や出土品などで専門家の推測過程の話しが面白かった。

説明の中でこの古墳築造当初は古墳の表面を覆う葺石(ふきいし)と呼ばれている石で覆われていたという説明があった、葺石で覆われていたという、初めて聞く話だった。発掘の状況からどうやら古墳は二段になっていたような話もあり興味深かった。

石で覆われた古墳の復元写真はネットにあるが、この古墳も復元され石で覆われた上侍塚古墳の姿を想像するだけでわくわくする。

上侍塚古墳全景

県の責任者の説明

トレンチの一つで石の配置から二段と推定

5世紀前半造営のナガレ山古墳(奈良) ウイキベキアより

29日の下野新聞記事(追加)