上田市から松代へは車が早いが電車利用では遠回りになるが長野駅経由でバス利用が便利である。バスを降りたところが松代駅だった。
なぜ駅の名前があるのかその理由は4年前に廃線になった長野電鉄屋代線の駅名がそのまま残っているのだ。
なぜ駅の名前があるのかその理由は4年前に廃線になった長野電鉄屋代線の駅名がそのまま残っているのだ。
駅舎やホームもそのままの姿が残っていて少し寂しい感じの風景があった。ここで数名の中学生がボランティアでコース案内をしてくれてパンフレットを渡してくれた。
近くにある真田宝物館に入ると古文書や武具、調度品、書画などを5万点を5万点を展示し真田家の歴史を今に伝えている。
隣には真田邸(新御殿)簡素ながら旧大名屋敷の風格を感じさせる建物で開け放った障子越しに回遊式庭園が眺められる。屋敷内には多くの部屋がある、寝所、風呂場、トイレなども見られた。屋根の鬼瓦もしっかり六文銭が入っている。
真田邸と松代高校跡地が真田公園になっていて木陰で二人のおばさんが水彩画を
描いていた。水彩画を始めて3年だそうだが彩色の時に山の色は現実の色にとらわれず感じた色にするとか水分量に注意するなどのテクニックを教えてくれて非常に参考になった。
描いていた。水彩画を始めて3年だそうだが彩色の時に山の色は現実の色にとらわれず感じた色にするとか水分量に注意するなどのテクニックを教えてくれて非常に参考になった。
近くに江戸時代後期に創設された信濃国松代藩の藩校文武学校がある。栃木県の足利学校に倣ったようで人材の育成に尽くした建物で文学(漢学)のほかに西洋砲術・弓術・剣術・槍術・柔術の武芸など教えていた。次に松代城跡に行ってみると城門・石垣なども復元され、往時をしのばせる姿がよみがえっていた。
真田家ゆかりの歴史の街「松代」をめぐって一番感じた事は歴史から学ぶことは多い、時代の変化を読んで果敢に挑戦した真田昌幸などの生き方は最近の東京都知事選に挑んで当選した小池ゆり子さんと重なるものを感じたのは少し考えすぎか。
帰りに「池田満寿夫美術館」を見学した。心の中を一瞬に表すことが出来て感動を与える絵や版画を作れるのが才能ある人だ、絵や版画を見て何を描いたのか題名との関係はなど考えるのは凡人だ。心ひかれる絵になるかデタラメな絵になるかが天才と凡人の差になる。私の描く水彩画は凡人である以上自身で楽しみながら描く絵にしかならない。
別所温泉の北向観音では善光寺が未来往生に対し北向観世音は現世利益の功徳があるようだ、両者一体で両方に参拝しないと「片参り」らしい、縁起を担ぐわけではないがどうせ長野市に戻るので善光寺にもお参りして来た。今回の旅では数え切れないほどの社寺にお参りしたので御利益がある筈である・・(^^♪