趣味で韓国語を勉強していた教室で私の携帯が鳴った、電話はシニアの趣味の会のまとめ役からだった。
「Nさんが昨日亡くなられた連絡がありました。」
「えっ! 事故? Nさんとは2月末に会の仲間と一緒にハイキングに行ったじゃないですか!、その後も元気そうな姿を見ているが・・・」
「市内の病院で亡くなったという連絡があっただけで詳細は不明・・」
それ以上、もう聞く気にならなかった。後で聞いたら従来からC型肝炎で長期に治療していたのが急変したらしい。Nさんに関しては2016年に「熊野古道一人旅」に行くつもりと話したら田辺市に親戚がいるからと言い親切にも参考資料を沢山いただいた事だった、現地のバスの時間表まであり大変役立ったことだった思い出がある。この旅の思い出ページをアップしてある。
昨年も同じ趣味の会の仲間が亡くなっている、70歳を超えて歳を重ねると、新しい友が出来ることは非常に少なくなった。
少なくとも、私の狭くなった最近の活動の範囲や、少なくなった他人との接点では、まず新しい友人と出会うことは無い。
新しい思い出を創り、共有する機会も少ないだろう。だから長い間交流してきた友人がいなくなると、まさにそこに、ポッカリ穴が空くことになる。ここが年齢を重ね、老いていくことの寂しさのひとつだ。
しかし思い返せば年齢を気にして毎日を過ごしてない、毎朝5時半からリックを背負って1時間半のウォーキングをして朝食し、韓国語の勉強、水彩画、読書、パソコン、中小企業訪問、コーラスの歌詞覚え等々・・いろいろ有って忙しい日々を過ごしている。
若いとき出来なかったことを一生懸命に挑戦する気持ちで毎日を過ごしている。今月の中旬から高野山の宿坊に二泊して静かに手を合わせてくる予定だ。その内にお迎えが来るだろうからそれまでは頑張ろう。
80年も生きてくると、親しい人も懐かしい物も消えていく・・・しかし、思い出だけは、誰も消すことはできない。
難病に散った友人に— 合掌。