敬老の日に思う

人生100年時代とよく話を聞く。厚生労働省によると、今年に100歳になる高齢者は3万7,005人で、全国の100歳以上の高齢者は初めて7万人を超え7万1,238人(内88%が女性)になったようだ。

長生きの人が増えていることと女性が圧倒的に多いのは身近な趣味の会でも同じ傾向がある。

今月の誕生日で満82歳になってしまった、心臓の冠動脈の再狭窄の予防のために循環器内科の病院通いは続いているが幸い元気で過ごしている。いつまで続けれれるのかフト思うことがある。

100歳時代という話を聞くと多少は元気が出るがそれも健康で過ごせるかどうかである。

幸い中小企業の顧問として培った仕事が出来ているし、国内外のひとり旅にも出られる。趣味のコーラス、水彩画を描く、ハングルの勉強、山歩きは続けたい。

気力の衰えはあまり感じていない、まだ何かをやりたい気持ちが増しているような感じがありボランティア活動に参加したいと思っている。これは多分残り時間が短くなった人生を意識するようになったからかもしれない。

記憶力は確かに衰えた、なかなか記憶できないことが多くなった。韓国語の勉強やコーラスの歌詞などなかなか覚えられない。

その分は毎日たっぷりある自由時間を使って繰り返し覚え、忘れたらまたの覚えれば良いことだと思っている。

敬老の日に改めて思うのは歳を取るということは身体が朽ち衰えていゆくことである。このことを自覚して一日一日を自分らしく生きて行くということである。

人生は、生きている限り「得る」と「失う」の繰り返しである。

今まで生きた来た時間はこれからの人生の準備期間であると考えて、今をしっかりと生き抜き、残る人々に何かを残して悠々と悔いのない生き方をすることだ、死を迎えるその瞬間まで。

今年の夏の茶臼岳登山