韓国語の勉強会で「가지 볶음(カジポックン) 」という単語とその意味について話が出た。直訳すれば「茄子の炒め」である。この言葉から昔の思い出を連想してしまった。
それは小学生の時に母が作ってくれた茄子の油味噌だ。何よりのご馳走だった、麦飯に味噌汁やサツマイモの混ぜご飯、などを食べていた時代だった。
しかし母が作ってくれた「なすの油味噌」のおかずが非常にうまかった思い出につながった。
当時は「茄子の油味噌」と呼んでいたが、正確には「茄子の甘味噌炒め」なんだろう。
昭和20年代の子供5人を抱えての母子家庭で育ててくれた亡き母にはこの「なすの油味噌」の言葉を思い出すだけで感謝の言葉しか出てこない。
昨日、子供食堂を訪問したが現代でも食べ物で苦労している家庭が多くあるのは政治のせいだけか?
社会との接点が少ないまま、個で生きている人が多い。困っていても、人に頼らず生きようとする人が多いし、支援を求めても自己責任と言われがちな風潮を知っているから、傷つかないようにすると支援を求められない。
横のつながりという言葉はよく聞くが、どうしたらいいか分からない人が多いのだ。でも子供食堂で一緒に御飯を食べることで、つながることができる。
大事なのは支援の敷居をいかに下げるかである。子どもの問題は親の問題であり、地域の問題でもあり支援を続けることに意味がある。昨日のボランティアセンターの子供食堂で学んだことだ。