コンサートで障害者が奇声

国際交流会の30周年のイベントがありピアノコンサートが開催されました。モーツアルトのソナタが終り、ドビュシーの月の光が始まりしばらくしたら前方から奇声が聞こえました。

コンサートに障害者が来ていたのです。慌てた様子で両親が大きな中学生風の子供を抱き上げて会場から出て行くのが後方から見えました。

翌日、近くに座っていたコーラス仲間から聞いた話では前方席に居た中高年の男から「心無い言葉」を投げつけられたそうです。両親と子供は二度と戻って来ることはありませんでした。

イベント主催者側の一員としてこの事態をどうのように考えれば良いのか考えています。

知的障がい者は何故奇声をあげるのか。これは健常者の会話や笑い声、不満、意志の表現と同じであると言われています。

当然の事ながら「知的障害者が入場したことは事前に解っていたのに最善の対応が出来なかった責任は開催側の一員として反省しなければなりません。

「健常者と同じ、一人の音楽を楽しむ人間として普通に扱ってほしい」というご両親の切ない気持ちを考えると非常に心が痛みます。障がいを持った者は家に居れば良いのか、障害者だって1人の人間であるコンサートを聞きに楽しんではいけないのか、来るべきではないのか?

クラシックのコンサートで声を上げることが、どれだけ迷惑なことか理解はしているつもりである。

しかし現実は障害者を排除したところで私達は演奏を楽しんでいたのである。音楽とは誰にも平等とされるが、一皮剥けば障害者を自ずと疎外して成りたっていたのである。

障害者の発する奇声も「音楽の一部」として聴くことのできる社会でありたいと願わざるを得ない。しかしこれは難しいことかもしれない。

主催者側が一旦障害者をコンサートに受け入れた以上その家族を守る責任があったのではないかと思うと残念でならない。今回の経験から学んだことは今後に生かしたいと思う。