老いてこそ生き甲斐

書店で石原慎太郎の書いた「天才田中角栄」や曽野綾子との対談集的な「死という最後の未来」という書籍を見たがまだ読んでいない。

「老いてこそ生き甲斐」という新刊本が目に付いたので購入して読んだ。

69歳の時に書いた「老いてこそ人生」を、現在87歳になった著者は、「70にもならぬ男がたとえ物書きだとしても老いを含めて人生を語るというのは身の程を知らぬ僭越としかいいようがありません」と述懐している。

石原慎太郎というとコワモテの政治家のイメージが強いが、最晩年に達した今だからこそ実感する「老い」という人生の味わい。

死や老いについての意見は説得力もあり共感出来た、言葉の使い方がさすがにうまい。印象に残ったのは次のような一文であった、二日前に受け取った訃報の手紙のせいもある。

老いてからの人生で衝撃的な出来事は他人の、それも親しい誰かの訃報です。それを知ることで誰しもが相対的に自分の生を改めて覚られるものです。その感覚は皮肉で残酷ともいえる生命感をもたらしてくれるものです。

あいつが死んでしまったがこの自分はまだこうして生きているという、ある種の高揚感は残酷なものかもしれないがしかし、密かな生き甲斐さえもたらしてくれるものです。

親しくしていた同期のH君が死んでしまったがこの自分はまだこうして生きている、残酷な話しになるかもしれないが、密かな生き甲斐さえも感じているのは事実だ。

最近は「老いのゆくえ」「老人流」「人生の短さ」「歳をとるのは面白い」などの本を読んでいるのは生きていることを確認して少しでも生き甲斐になっているのかな。