幕末から明治初期に地元の黒羽藩には「三田知山(ミタチサン)」という人物がいて明治になって「国宝・那須国造碑」に書かれた碑文の解読に努めたようだ。
今日はこの人物と碑文を解読した内容について那須風土記の丘湯津上資料館の学芸員の鈴木志野氏の講義を聞いて初めて知った。地元に住んでいてもなかなかこのような話しに接する機会がなかったので内容は面白かった。
「那須国造碑」については検索すればいろいろな解説が出てくる。市のHPでも「那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ) 国宝(古文書)」という項目で解説されている。
この三田知山が碑文を解釈したのは中国の漢詩からの解読のほかに隠語説というのがあった。面白かったが解読する過程が私にはサッパリだった。現代文で解説して欲しかった。
この奈良時代(700年)にこの那須国には多くの新羅からの渡来人がいたようだがこの碑文を理解できる人はどれほど居たのか、また、どれほどの人口でどんな生活を営んでいたのか考えるだけで興味が尽きない。