年の瀬に思う

今年も残すは3日のみとなった。早いものだ、病気にもならず元気で過ごせたが「もう1年が過ぎ去っていくのか」という感慨も湧いてきて、妙に落ち着いた気分で物思いに耽る時がある。

年末に「喪中につき、新年のご挨拶をご遠慮申し上げます」の葉書が5枚も来た。両親や兄弟が亡くなれたお知らせもあったが、やはり遠方にいる同期が亡くなり奥様からの葉書が来たときはショックだった。

年寄りが黙りこくっている姿わびしく見えるが、時と場合には歳を重ねたら寡黙の方が良いと思う、会合でぺらぺら喋ると人間そのものが薄っぺ らになるようでやだ。

しかし高齢者同士の横のつながり、コミュニケーションも重要である。結局は寡黙もおしゃべりも時と場合と程度ということになる。

今日は国際交流会で出会った中国出身の人と会食し、カフェでおしゃべりした。中国の一般の人の生活や歴史などの話を聞いて3時間が過ぎた。

83歳で逝った高倉健の座右銘は「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」だった、彼は座右銘通りの生涯を通したようだ。

80代は「人生、生きごろ死に ごろ」といわれる。生きるのもよし、死ぬのもよし、できることなら、この年代は願わくば元気で「好きなこと」をして生き、ぽっくり逝きたい。

今朝のウォーキング風景