相互理解

東京板橋区の乗蓮寺が「ベビーカーご利用自粛のお願い」の看板を出した

ところ「何の落ち度もない単に小さい子供を連れたママさんが初詣に来て、

これを見て嫌な気持ちになると想像できないだろうか」とツイッターで

つぶやいたら、松葉杖の人も、車椅子の人も足の悪い高齢者も、

視覚障害者も全部遠慮しろと言うのかという意見に対して、賛否が

分かれて大論争になっている。

看板を出した乗蓮寺は従来はベビーカーに対して優先して参拝させていた

がこれを悪用したり、事故があったようで関係者と相談しての処置のようだ。

論争の内容は「ベビーカー自粛」が「排除の発想」なのかということに

なるが賛成側、否定側の意見はそれぞれ理由があったのだ。

この論争を読んでまず感じたのは初詣にベビーカーで行く人が居るんだと・・

まずビックリした。寒いし、階段もあるし、田舎の神社でも大勢の人が

集まるので我家は出来る限り空いた2日に出掛けているのだが・・。

ある現象に対して感じたことを正直に発表するのは良いが思わぬ誤解も

生まれる。

寺側の対応も「ベビーカーご利用自粛のお願い」を出すまでの経緯までは

書いていないからこれも誤解の原因である。

この件の内容を読んで「相手を理解する」には「相互理解は時間と

手間がかかる」ということだ。

次はどうすれば良いのかを考えることが重要だ。

日韓関係も同じようだ、最近の釜山の慰安婦像の設置に対して日本政府が

猛反発している。日本政府の反発に対する気持ちは日本人の一般の人の

気持ちであろうし、これから日本の嫌韓感情も広がるだろう。

長く韓国企業に関わった者としてももううんざりする気持ちになった。

また次の韓国大統領候補になる野党の代表は既に強烈な反日色を出している。

また日韓関係は逆戻りするかもしれない。

これでは日韓が理解しあうのもまだまだ時間がかかる、韓国との相互理解は

100年は必要と以前から感じているのだから今後2~30年は

必要かもしれない。