終戦後75年目の日

毎年8月15日は終戦記念日、東京の日本武道館で政府主催の全国戦没者追悼式が執り行われる。

今年は天皇陛下の即位後2度目の出席となった「おことば」では「再び戦争の惨禍が繰り返されぬこと」を切に願うと述べた。

TV中継を見ながら、もう終戦から75年にもなるかとしみじみ感じた。終戦の日の思い出は少ないが父が直ぐになくなり母の手で幼稚園児から高校生までの5人兄弟を育ててくれた母親には今でも感謝の思いが強く残っている。

戦争で310万人の人が犠牲になり、生き抜いて来た人々も、原爆の被害なども、筆舌に尽くし難い過酷な生活を思うと、もう戦争はダメだ、絶対にしてはいけないと思う。

戦争反対、原爆反対、改憲反対などの平和運動でどのようにして戦争が防げるのか、外交力だけで危機を回避することが出来るのかを考える時がある、本当にそれで良いのだろうかと心配になってしまう。

平和を希求するだけ、反戦を説くことだけで、平和が実現するのか、最近の中国政府による香港への武力による言論の封じ込めなどを目の当たりにすると平和憲法維持を叫ぶだけで良いのか悩むのである。

以前、東京都知事選での対話で小池候補に対峙する鳥越俊太郎候補が国を守るための自衛力について「どこの国が攻めて来るのですか?どこの国ですか?」と質問者に反論していたことが印象に残っている。

明治維新後の日本の軍事力増強に対して朝鮮王朝は華夷秩序体制のままで平和が続けられると考えたことも日韓併合の一因だったようなきがする。日本に付け込まれない自衛力が朝鮮側にもう少しあったなら歴史は変わったかもしれない。

戦争反対、原爆反対、同感である、戦争は絶対避けなければならない。しかし軍事力によって領土が脅かされ、極端な話だが侵略を受けても抵抗せず、侵略者への隷従も出来るのか、その覚悟はあるのか?戦後75年の日に愚考したしだいです。

終戦記念日に考えたこと