「感動」という言葉

趣味の水彩画の「セピアの会」で指導の先生から「この風景は何に感動しましたか?」と質問されたことがある。

前に広がる景色を漠然と描くのではなく、もっと感動した内容をはっきりさせて、他の部分は省略してもよいという意味だと解釈している。確かに写真ではないから描く人の気持ちが伝わることが必要かもしれない。

感動というのはあまりにも個人的は主観だからどこ、なぜと思ってもどこか焦点が定まりづらい感がある。

広辞苑を開けてみると「感動」とは簡潔に記述してあり「深く物に感じて心を動かすこと」あった。

次の野外写生会をする予定会場が市内の雲巖寺だったので雨の中休みの日に再度訪問した。

入り口の石柱門をくぐると、一瞬にして身の引きしまるような荘厳な雰囲気が漂うのはいつ来ても変わらない。

この雰囲気を絵に出来ればと思っても私のような凡人にはなかなか難しい。周りの緑の中に映える朱色の反り橋と下の渓流のせせらぎに気持ちが揺れた、これが感動したというのかなぁ~。

やはり水彩画を描こうとすればこの風景全体になるだろうか、しばらく見入ってから石段を登り山門をくぐって釈迦堂、獅子王殿にお参りして戻った。

深くこの風景に感じて心が動いたのだとしたらやはり感動した部分は朱色の反り橋と川のせせらぎの中の樹木の淡い緑ということだろうか。いろいろ刺激を受けた日だった。

雲巖寺の風景1

雲巖寺風景2