東京人から感じる那須はどうも温泉や
牧場のある新幹線より西側をイメージ
する人が多い。
この地に住んでいると西も東もないが
古代の那須国の中心は現在の大田原市
の地域であったようだ。
新聞にも出ていたが古代の幹線道路
であった「東山道」の駅路らしき
ものが市内の湯津上地区でも
発掘されている。
また、市の郊外になるが
国道400号線の蛭畑という地区に
は「秀衡街道」と呼ばれる街道跡
がある。
市のHPに載っていたので訪ねてみた。
現在は畑となっており、周辺の畑に
比べ多少窪地になった約7メートル
幅の街道跡があり案内板には
東山道の脇街道であったと
書かれていた。
平安時代末期の奥州平泉で繁栄を
極めた藤原秀衡時代の
この街道付近の住人はどんな
生活をしていたのか思い巡らした。