以前、朝のウォーキングでよく出会う人の中に俳句を趣味にしている人がいて俳句をやりませんかと度々誘われたが・・・俳句には興味が有るが創作する能力も時間もないから断った。
その後に他の人からあの人は市内の俳句の先生だよと聞いていた。
今朝の出会いでは俳句談議になった。
印象に残ったのは句は頭で考えて作るのでなく自然の中で出会って自然からの語り掛けを拾うものですという。
なるほど、句を拾うのか、面白い表現である。
今朝も拾いましたか?
歩けば自然の中で句材と出会えていくつか拾ったなぁ
そうだ、先月の句会報があるから読んで欲しいとポケットから出して手渡された。
興味が出たら句会に出席してくださいとまた誘われた。
この人は市内の趣味の俳句の先生で高齢化で会員が少なくなっているので何とか会員を増やしたいようだ。どこの趣味の会も同じような状況かもしれない。
「句を拾う」という概念は風景画を描くことにも通じるような気がした。
先月から雲岩寺の風景を描くために3回訪問して朱塗りの橋をどんな角度から描くのがよいのかいろいろ考えた。
これが自然に出会い、細かく眺め、見過さないようにするのが句材を拾うということにも通じるのかもしれない。