はじめに

2008/1/5

韓国の企業支援の終了と再会

 12年間続けていた韓国企業の支援を昨年(2007年)で終止符を打ち、地元で生きがい、やりがいを求めて活動しようと張り切っていたが・・・韓国側から強い要請により再度支援を再開することになってしまった。

 再度の支援内容は「中小企業奮戦記(2009年〜2015年)」に追記したので覗いてください。(2009年)

韓国企業の支援の思い出
 電機会社を心臓病で退職し家で療養中の時、付き合いのあった韓国会社のオーナーから「自宅で療養するのも韓国で療養するのも同じです。ぜひ私の会社に来て協力して下さい」との話があり、毎月の半分を韓国の田舎にある工場に滞在しながら過去36年電機会社で経験したことを生かそうと日韓を往復して来ました。 韓国に来るきっかけとなったオーナーに送った手紙が机の奥から出てきましたので当時を懐かしく想い出しました。

 韓国企業の12年間には数多くの品質管理の失敗や、経済危機で会社の存続が難しくなったこともありました、しかし「まずはぶっつかってみよう」というオーナーの強烈なリーダーシップで危機を乗り越えて進歩してきました。

 「冬のソナタ」の韓国ドラマが感動と共感をもって日本に受入れられた理由はなんでしょうか、こまやかに人を思いやる正直な世界は妙に懐かしく不思議に引き付けれられます。人を愛する心にスポットを当てたドラマが日本人には新鮮であるからなのです。ひた向きに、ひた向きに行動する姿がそこにあります。この小さな会社も人材・資金・設備など何もかも不足していますが従業員の「ひた向きな情熱、苦しいけれどひた向きに挑戦する姿」に魅力を感じ感動を覚えるのです、だから支援を続けられたと思っています。

 幸い手術後の心臓には異常なく元気で過ごせているのも韓国の関係者の暖かい心遣いがあるからと感謝しています。


12年間の会社の変化
1、年間売上金額:60億ウオン →  300億ウオン
2、従業員数 :  160名    →  140名
3、日本への輸出:  0%    →  20%

余談
日韓の往復回数 : 150回
韓国の山登り数  : 50山

2001年度
2002年度
2003年度
2004年度
■2005年度
■2006年度
■2007年度

私が今までに感じた事

  • 技術基盤の確立のための投資より規模拡大のための投資が優先する企業経営。
  • 常にトップダウンの一方通行の指示が多く、スタッフの転職率が高い。
  • 各自の自己主張が強く職制に跨る問題の解決に時間がかかる。                        
  • データで原因分析し対策するより現象で判断しともかく早く行動する方が優先する。
  • 中小企業の宿命として中間管理職の教育不足があり問題解決能力が不足。

今までに実施した事                     

  • 品質向上対策としての品質評価設備(製品、部品)の拡充。
  • 製造業の基本である5S活動の定着。
    (整理、整頓、清掃、躾及び立ち作業化、U字ライン化、平準化生産化、)
  • 部品寸法精度の維持向上(指定寸法通りの部品を作ることを徹底させる)。 
  • 開発力強化・人材育成(なかなか成果が出ない)                              
  • 海外製造拠点の整備拡充(赤字続きでベトナム工場は閉鎖した、中国・上海に合弁工場開設した、独自の販売会社を設立)。                             
  • 輸出(特に日本市場・中国市場)への取組み(現在までの成果は考えたより少ない)。
これからの課題            
  • 若手エンジニアの育成(入退社が多く大きな悩み)                  
  • 新商品開発力と合理化能力の強化(評価設備、合理化設備投資は消極的)                  
  • 製造販売管理システムの開発      
  • 生産革新活動                
  • 主要外注会社の品質管理レベルの向上                  
  • 中国市場への拡販と製造拠点開発
年始にはいつも昨年の反省と本年度の計画をまとめ会社幹部に説明していますが解ってくれても・・・実行はまた別の問題かもしれない?。