韓国人はなぜ前をかくさないか?
 
2004年7月
   最近発行された書籍に「韓国温泉物語」(竹国友康著・岩波書店)というのがあります。 1876年(明治9年)に釜山に日本人居留地が設けられ「風呂に入る」る日本人と共に、日本式公衆浴場が玄界灘を渡りました。

湯けむりの中から見えてくる日朝の沐浴文化とその交流の歴史を、双方のあいだにあった対立や葛藤を含めてたどる歴史物語は興味深い内容です。

 


 

 この本で紹介されている釜山近郊の「東莱(トンネ)温泉」へ行こうと急に思い立ちインターネットで「ホテル農心」にしました、このホテルの前身は1960年代に開業した歴史ある東莱観光ホテルでしたが2002年に改装して「ホテル農心」という名前に変更したのです。

 ホテルの正面にはセメント作りの「老人像」が出迎えてくれました、この像は1927年10月に釜山と東莱(トンネ)温泉街が電車線が開通したのを記念して設置され、その後電車路線が撤廃されたのにともなって現在の「ホテル農心」に移されものだそうで、今でも訪れる観光客を迎えています。

 
ホテル 農心の旧正面入口
ハラボジ(おじいさん)のセメント像
 


 「ホテル農心」の裏に虚心庁(ホシムチョン)という大規模な「温泉健康ランド」があります、ホテルで購入した入場券(8000ウオン)を渡しロッカー式脱衣所に行く、ここで脱衣しロックした鍵を腕につけて手ぬぐいを探すが見当たらない、素っ裸のまま中に入るとまずシャワーや洗面場がありここには垢すりタオルと石鹸、シャンプー、などがあった。つまり手ぬぐいは体を洗うためのもので洗い終わればその隅のボックスに入れて何も持たずに湯船に入るのです、この温泉には薬草湯、檜風呂、打たせ湯、泡風呂、遠赤外線サウナ、温水プールなどある大規模なものです。

 
虚心庁の全景
男女で3000名収容出来る温泉内部

 早朝だから人はあまり居ません、一緒に入った韓国人がこのような所で頭に手ぬぐいを乗せて湯船に入っている人が居ればそれは間違いなく日本人だよ・・と笑って話してくれました。 湯に浸かりながらこの温泉ランドの名前の通り虚心になり・・日本と韓国の入浴習慣で私が日頃感じている差異について考えました。朝鮮半島は日本列島に比べ空気も乾燥しているのせいかもしれませんが韓国人の一般家庭での入浴は湯船に入ることはまずありません、ほとんどシャワーで済ましてます、そして時々サウナで垢を落とすのが一般的な入浴です。日本のように毎晩バスタブに湯を張りゆっくりと全身浴することは無いです。

全く他人の視線を気にしないおじさん
遠赤外線サウナ風呂、日本語表示あり

 表題になっている「韓国人はなぜ前を隠さないのか」という疑問ですが、最初に紹介した「韓国温泉物語」の中にその回答がありました。朝鮮では儒教の影響下に人前で裸になることを嫌い、「男女混浴」などといういうことは厳しく禁じられていたのです。 温泉や汗蒸幕などでは脱衣場でハダカになっている以上異性の視線は意識する必要はありません、もう一度タオルで隠すなどは過剰な手続きでしかなく、「見れども心に留めず」という作法が韓国人の間で今でも生きているのです。これが沐浴湯(モギョクタン)や温泉では手ぬぐいなどで前を隠さない韓国人の習慣になっているようです。

 韓国の友人と一緒に日本の温泉入ったことがありました。露天風呂に入っている所を写真に撮ってくれというのでフインダーを覗いていると彼は素っ裸のまま立ち上がってポーズをとりました。韓国人の裸体観は非常にオープンで友人同士の関係は濃厚です。 私が椅子で休んでいると前でおじさんが湯舟のふちにごろりと仰向けになり、私の目線などは全く眼中に無い様子で気持ちよさそうに眠り始めました。もう一度湯船に入りそれとなく見回すと手ぬぐいを持っている人は誰一人居ませんでした。

混浴の公衆浴場(下田・ペリー日本遠征記)
朝鮮時代の川での沐浴風景

では日本人はなぜ前を隠すのかという疑問が当然出てきます。

 日本では近世以来都市に公共的な公衆浴場を設けて全身温水浴、いわゆる「風呂に入る」という習慣を定着させました。公衆浴場や温泉では男女混浴で入浴する時は上図のように湯ふんどしや湯まきなどの湯具をつけていたようである、これが浴槽の湯を湯を汚す原因になるので入浴の際次第に湯具をつけず体を拭くためにあった手ぬぐいが湯具の代わりをはたすようになりました、それから入浴する際に前にあてるような作法が出来たのです。
似ているようで違う韓国の風俗習慣がこのような温泉で体験できました。


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