韓国人の心

2000年6月

韓国に住み韓国人と親しく交流して感じることですが韓国人の心の中には、常に楽天的な心と悲しい心の両面が同時に存在しているように思います。元来韓国人は楽天的な心を持った民族ではないかと思います。なぜなら、春の会社の野遊会にバスの中でずっと歌い踊っているアジュマ(おばさん)達を見て驚きましたが、韓国人は人が集まると必ずといっていいほど、ワイワイ騒ぎながら陽気に歌をうたったり、踊ったりします、日本人に比べると物事をとても楽天的にとらえる傾向があります。

 この楽天的な心をもった民族であったがゆえに、国がないときも、親子、兄弟、夫婦が別れなければならないときも、未来に希望を託して乗り越えていくことができたのではないかと思うのです。しかし一方で、悲しい心をもった民族でもあるのです。

 例えば、演歌のふるさとは韓国であるという人もいるほど韓国人は演歌を好みます。演歌というものは、失恋、涙、離別、人生に疲れた人が心をいやすために、酒場で焼酎を飲みながら聞く歌だと思います。
 このような歌を好むということは韓国人の心の中に悲しい心があり、それが演歌と一致する部分があるからではないでしょうか。大国に隣接していたため韓国の歴史は悲劇の繰り返しでもありました、過去に外国から100回以上侵略を受けたとの話も聞きました、小国としての苦難の道をたどり今もまた大国の利害によって、民族分断の中にある韓国はいつも悲劇の主人公でした。
 したがって韓国人は自然と、かわいそうな者、弱い者を見ると自分たちのことのように思い、黙って放っておけず、弱くかわいそうな者を助ける心、同情心の強い民族となったように思います。 こんなこともあります、以前から勤務した技術者が肝臓の病気になり勤務できなくなりました、この人は身寄りがないので結局皆でお金を出し合い教会にあずかってもらう事になりました、現在も静養しながら教会の掃除など手伝っていましてときどき仲間が様子を見に行っています。

 ところがそれに比べ、日本の歴史は以後欧米列強の植民地支配を受けることもなく、明治維新以降順調に発展してきたこともあって、日本人には成功した者、強い者にしか意識が向かないところがあります。
 企業関係から日本を見ると、日本人には経済的に遅れているという理由から韓国企業を見下げているところがあります。しかしこの同じ日本人が、欧米企業に対してはペコペコしているように見えるのはどうしてでしょうか。日本の大企業の担当者が韓国の担当者に土曜日に訪韓するからと出迎えの要求と日曜日に打合せを行いたいと突然に休日出勤を要請して来た事が有りました、また不良処理費用の請求を一方的に送り付け韓国側を憤激させた事もありました、このような事は相手が中小企業でも欧米の会社には絶対にしないと思います、弱い者には威張りくさり、強い者には頭を下げるという悪い国民性を日本の大会社の行動にときどき感じます。

 日本は明治維新以後いち早く外国文化を導入しアジアの中で、軍事的にも経済的にも大国となったわけですが、まだ近代化できずにいる周辺のアジア諸国を援助し、助けてあげるよりは支配し、侵略したわけです。

 これはある面では、今日のいじめと類似しているのではないでしょうか。強い者は相手が弱いからといって、いじめたり支配したりしていいという理屈は通らないのです。むしろ強い者は弱い者を、大国は小国を、先進国は開発途上国を助け、援助すべきであり、そこには弱い者を助ける心が必要なのです。

 従業員150名足らずの韓国の中小企業に対し成熟商品でも仕事を出せばノウハウの流失が問題とか、将来の競争相手になるなどと狭隘な理論を振り回さず先進国として国際分業の推進による相互補完関係を確立すべきなのです。先進国大企業としての心の大きさを示して欲しいのです、日本企業の中にもきっとこのような考えを持った会社幹部が大勢いるはずだと密かに考えています。

朝の散歩コースの写真です。
1. 考子閣
  これは朝鮮時代に親に対し孝行した子供に対し政府から特別 に表彰された記念にこのような物を作ったのです、韓国語で「ヒョウジャカク」と発音しまして今でもこのように親に対する孝行を儒教の教えとして大切にしています、最近修復しました。
2. 田に浮かぶアパート
韓国の田舎でもこんな風に住宅建設が進んでいます、写真は田に浮ぶ10階〜15階建てのアパート(日本でのマンション)です。

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