韓国でのビジネスの話

99年8月

韓国に工場を作り約10年ぐらい製造業をやってきて最近になり撤退した日本人の経営者の話を聞く機会がありました。

この経営者は撤退しても韓国と言う国は面白く、好きな国だから今後とも何らかの繋がりをもち時々韓国を訪問したい、この為出来たら貿易関係のビジネスを考えているとの話が印象的でした。

この経営者の話を要約すると以下の通りですが、どちらかと言うと過去を引きずって仕事をしてきたようです、韓国も変化しています。何時までも個人的興味とビジネスを一緒にしていたのでは成功は出来ませんね。


1.韓国が好きか嫌いか。
  • 日本とは距離的にも、歴史的にも本当に近く、顔の色、髪の毛、等何をとっても同じであるが、多くの日本人はこの国を好きか、嫌いかのどちらかで判別出来る。
  • 韓国が好きになる原因の一つに女性関係がある、その生活、習慣を知らず盲愛し数年後全財産を無くし廃人同様になった人が数多くいる。
  • 良くある事例であるが、その女性の為事業を起こし、援助し、真剣に努力したにも拘わらず数年後には持ち逃げされ、韓国大嫌い族に転向した人もいる。
  • 韓国が好きだからで韓国に投資をするのは非常に危険であり、失敗したら、大嫌い人間になり、自己嫌悪に陥る事になる、ビジネスとして成り立つかどうか冷静に見極める事が大切(当たり前の話であるが…?)

2.投資環境について
  • 現在は一部(不動産、金融、等)を除きほとんどの業種に於いて投資が可能になり、合弁、100%出資の会社設立も可能である。
  • 現地に日本側の企業代表として日本人が常駐に近い状態で監督出来るかで成否が決定される、中小企業の場合90%の確率で失敗を覚悟しておく必要がある。
  • 現地販売による利益の日本への回収は税制面でも非常に複雑であり殆ど不可能、投資額が回収出来ればベストと考えるべき(最近は改善されていると言うが…)。

3.韓国人の考え方
  • お金の有る者、地位の有る者、目上の者は下の者に対して援助するの事は当り前、援助される者が努力しなくても当然であるとの認識が一般的と考えて良い。
  • 口には出さないが、日本人はお金持ちであり、歴史的に見ても韓国人を助けて当り前であり、助ける義務があるとの考えが定着している。
  • 日本的原理原則、常識、は通用せず、弁解が最優先され、血縁、地縁、学縁、の順で尊重され、この縁故は何があっても絶対的なものであり崩すことは出来ない。
  • 商売に於いても、その他の場合でもこの人脈を使えば解決出来ない事はまずない。
  • ワイロは厳然と残っており、取れる所から取れるだけ取り、取れなくなった時は「さようならの世界」と考えて良い。

4.中小企業の現状
  • 従業員は社長を信用していない、また社長も従業員を信用せず、個人資産を増やす事のみ神経を使っている。
  • 日本人に対しては、従業員以上に信用が無く(表面上は良い)、投資されたものは贈与されたものと誤解されているような感がある、この裏には日本人は韓国人を援助するのは当然と考えている人が多いいからである。
  • 中小企業には決算書が3通りある、(社長用、税務署用、銀行用)税金を払わなくする事が優秀な経営者であり、個人資産を幾ら持つかによりその人の人格が決まる。
  • いかに優秀な会計士を入れようとも、その不正や経理の中身は日本側で読めない。
  • 借りたものは相手が忘れるまで返さない、銀行借入金についても、いかに長く返さないかが実力の内で、早く返すのは力が無い者と見なされる。
  • 中小企業で韓国に投資して成功した例は10%以下である、この現実を良く見て欲しい。

5.韓国人とのビジネス上での付き合い方
  • 理屈、正論は通じない、習慣とかで都合の良い前例が最優先される、話をすると理解は示すが、現実は全く違う方法で解決される場合が多い。
  • 全てを見せるな、韓国人は腹芸が出来ない、話をしていると何か非常に親しくなり腹を割って付き合えると考えるのが日本人の大方の感じであるが、実は韓国人は非常に勘定高く、本能的に日本人の弱さ(対立を回避)を捕まえる事が出来る。
  • 具体的に話すと、財布(技術、人脈、人間性等を含めて)の中身を見せるなと言う 事である、何か取るものがある間は非常に人間関係もうまく行くが、出す物が無くなったら直ぐに無視される。

大体、以上のような話だったと記憶しています。私のように韓国との間で仕事をしていて、多くの韓国人と付き合っている人間としては約2時間の間、相当シンドイ時間でした。
家に帰り冷静に考えるとこの社長の話も思い当たる面が多々あるし、また少し極端過ぎてかえって日本人の偏見としか思えない事も多かったです。

読売新聞社の3年前の調査によれば韓国人の日本人に対する好感度は30%であり、アメリカ人は61%でした。また日本人と聞いて思い浮かべる言葉は「植民地支配=32%、」「狡賢い、野卑=29%」となっていました。
これを読んだ時、「野卑とはいくらなんでもひどいよ、」野卑とは「野蛮で、卑怯、卑劣」ではないかと憤慨した事を思い出しました。

98年度の相互往来は日本から韓国に194万人、韓国から日本に73万人と言われています、この現状を考える時、いつも感じるのはサイレントマジョリティーと言われている一般庶民のことです。 統計的手法の用語に有る3シグマー外の人が左右にいてどちらかの陣営の人が少し増えたりし声も大きくなったりする事はあっても中間にいる大多数の庶民は日本も韓国もあまり変わらないのではないのかと思います。
無論、外国であるから全て日本人が考えることは今は違いますが、日本人と言ってもいろいろな人がいる訳で、韓国人も同じと思います。よく「○○人と言うのは・・」と言う民族の構成員をひとくくりにして批評する考え方は非常に危険で、民族間の対立を招くものででしょう。

ある民族の特定の行動を見て、その民族全体を批評するのは問題があります。世界中どこにあっても、良く判らない行動をする人はいるはずで、批判するする時はその人物だけにしてその人物が属する民族全体まで批判するのは止めるべきではないかと思います。

日本と韓国について語るときは以上の事を考えたいものです。「韓国人は・・」と言うような切り口で語るのは、そろそろ止めにして、相手を個々人として見たいと思う、これが私の結論でもありました。

以上

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