■西安(碑林・華清池・兵馬俑博物館・大雁塔)

 

◆碑林
   西安の碑林は漢代から清代までの書の宝庫と言われ、石に刻んだ文字の数は、数十万字を超えるとか・・気が遠くなります。さすが漢字の発祥の国で歴史の古さを感じた。昔読んだ向田邦子著のエッセイ集『父の詫び状』の中で「身体髪膚」というのがある、私はこの言葉だけはよく覚えている。「身体髪膚之を父母に受く、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」。

 この孔子の儒教の基本経典「論語」の碑もありました。日本人には論語で培われたものがまだ残っていたが敗戦によりそれまでの価値を否定する機運が高まり、忠義が悪者にされ、一緒に孝行も強調されなくなった日本の状況をふと感じた。

◆華清池
   華清池は唐の時代の玄宗皇帝と楊貴妃のロマンス場として知られている。華清池には43℃の温泉があり楊貴妃が入ったという風呂や玄宗皇帝が入った「蓮花湯」など復元されていた。またここは、日本との関連があるところで、1936年の西安事変の舞台となったことでも知られています。銃弾の跡や、蒋介石が泊った「五間庁」や会議室も保存されていた。

◆兵馬俑博物館
   兵馬俑博物館は始皇帝の強大な権力を思い知らされます。俑坑は全部で三つあり、そのうち一号坑の面積は1万4260平方メートルもあり、体育館のような屋根(一号坑は、横60m、奥行200m)をかけて、世界中からの見学の人波をさばいていた。粘土で造り焼あげた等身大の人形が現在八千体もあり圧巻です。発掘作業は今も続いている。始皇帝陵の西側から発掘した銅車馬が別棟に飾ってあった、始皇帝は中国の統一後全国を五回巡視したのがこの銅車馬だと説明があったが其の精巧さに驚かされた。

 ここでパプニングがあった。バスから降りる時にスリがいるので特に気をつけるように添乗員から注意があったが、しかしAさんは一号坑に入ったらカメラを調整する事に夢中になりズボンの後ろのポケットから財布を掏られてしまったのです。夢中でカメラを調整している間に誰かが後ろから当たったのは覚えていると後で話してくれたました。Aさんは自分だけはスリなどは無縁と思っていた・・油断した!と嘆いていましたが・・・私自身もいつもズボンの後ろのポケットに財布を入れいるので慌てて懐に移し変えた。気をつけるというのは精神的なもので効果がない、物理的な対策が必要と感じた。

 西安郊外では果物畑が多く道路わきでもザクロ・柿を販売している店が多く見られます。ここでも市長からの発案で店の前にバスを止めて柿とザクロを購入した、ザクロは果物の範ちゅうには入らないと勝手に思っていたが日本のものより一回り大きい西安ザクロを食べて意外に美味しいのでびっくり、西安でザクロの味を見直しました。


◆大雁塔
   大雁塔(正式名称は慈恩寺)は玄奘三蔵の仏典を収めた寺です。少し傾いている七層(64m)の塔の前でせっかく来たのだからということで七層まで登ってみる事にした。登って行くと五層ぐらいから太ももが痛くなり少し休まなければの登れなくなった。年齢なのか運動不足なのか改めて体力不足を実感する。七層から西安市内を見渡すと道路が東西南北正確に区分けされ、日本の平安京のモデルになったことが良く解かった。

◆西の城門
   ここがシルクロードの出発点ですと説明されたが城壁の上から見る風景は昔の面影は無く古代のロマンだけを感じた。ここで食べた西安の一口サイズの柿がまた美味しく、奥行きのある甘さに引かれ続けて3個も食べてしまった。夕食には中心部にある鐘楼近くの専門店に入り「餃子宴」という餃子コースを食べた、色・形・具がそれぞれ異なる餃子が次々に22種類出てきたが珍しい食べ物とは思ったもののそう美味しいとは思えませんでした。日本人にはやはり食べ慣れ親しんだ焼餃子が合うようだと思ったのは私だけでしょうか。

 

民俗芸能の鑑賞、残念ながら遠すぎた
華清池で
西安事変の時の弾痕跡
皆さん熱心に説明を聞く
市長の発案で道路脇の店からザクロと柿を購入
等身大の人形は圧巻
ザクロも美味しく柿は小ぶりで奥のある甘さ
城壁の上での感想は広い・大きい・長い

 

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