莫高窟へ向かう日の朝は晴れていたが風がとても冷たい、敦煌の街を離れるとポプラ並木の両側に畑が続いている。バスの窓から綿花の収穫が終わり枯れ枝を集めて女達が働いている姿を眺めながらガイドの話を聞いた、昨年と今年は綿花の値段が良いので農家の収入は良いのだそうだ。最近はビニールハウスで野菜の栽培も始まったとかで、ここの農業も近代化の波が押し寄せているようです。しばらく走り飛行場の近くを右折すると両側は砂漠になった。砂漠の中にあちらこちらに小さな山を見ることができる、これは全てお墓だそうだ、広いので何処に埋めても良いことになっているらしい。直線道路を15キロほど行くと右側の山の壁に点々と洞窟が見えてきました、これが世界的に知られている貴重な文化遺産であり「砂漠の画廊」といわれる莫高窟だった。
莫高窟は366 年頃から14世紀頃までに約1000窟が掘られたというが現存するのは約半数の492窟です。莫高窟9層前にて集合写真を撮り専門の日本語ガイドの話を聞きました。莫高窟内部は撮影禁止で入場前にカメラ・ビデオは全て管理事務所に預けなければなりません。また毎年公開する窟が変るので全て観るのはなかなか出来ないようだ。
私達は公開されている窟の中に入り説明を聞く暗いのであらかじめ準備した懐中電灯を全員で照らしながら話に耳を傾けた。275窟の高さ3.4mの弥勒菩薩、328窟の7体の唐塑像、45窟の唐時代の仏像、249窟の遊牧生活の壁画、320窟の飛天の壁画、仏画は説明を聞くだけではなかなか理解出来ないが塑像の方は、ギリシャの影響が、隋、唐と時代を経過して中国化していく様子や、日本で見る仏像と共通性があるのでルーツを感じた。
この窟全体の発見の契機になった17窟も見学でき多くの教典が入っていた穴が側面にあった、井上靖氏の小説「敦煌」の最後に主人公の趙行徳が3人の僧侶と経巻を穴に入れ最後に般若心教の写経一巻を入れたときの情景が浮かんできた。その時から1000年以上の時間の流れを思いつつ多くの仏像や壁画の色彩の鮮やかさに感動した。
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