歴史認識

98年10月

 金大中大統領が来日し、日韓首脳会談があり共同宣言が発表されました、戦後53年、日韓国交正常化から33年になりますが、ようやく「近くて遠い国」との関係が少しは変わるかなと感じました。
私は韓国の旧盆(秋夕、チュソッ)の連休を利用してソウルにある史跡を訪ね、私なりの歴史認識をして参りました。日本人の観光客があまり訪れない史跡かも知れません。


 金浦空港から程近い漢江のほとりに幸州山城(ヘンジュサンソン)と言う古城跡があります。
対岸の道路からは小高い山ですが頂上まで上がってみると、今は写真のように記念碑が有るだけで市民の憩の場所になっています。今から400年程前に豊臣秀吉が韓国を侵略した時、ここで宇喜多秀家軍3万と朝鮮軍2300人が戦った所です。宇喜多軍は山城の周りを取り囲んで攻撃しましたが険しい山と女性まで参戦した朝鮮軍に1万人の戦死者を出し敗退したと記録されていました。
ヘンジュサンソン

 この写真は幸州山城にある戦勝記念館に飾られていた絵画です。
あの時代によくこんな遠くまで来たものとそのエネルギーに何故か感心しました、と同時に日本に家族を残し、ここまで来て戦った多くの兵隊達は異国の地で何の為に戦い死んで行ったのか、さぞかし無念であったろうと、この絵を見ながら思いました。戦争の愚かさと空しさが伝わってきましたがその愚かな戦争を人間は繰り返し起こして来たのも事実で歴史が物語っています。
壁画

 ソウル市庁前に徳寿宮(トクスグン)が有ります、ここは景福宮が秀吉軍に焼き払われ当時の王様が移り住んだ所です。
周囲が石塀で囲まれていてロマンチックな雰囲気があります、娯楽施設が無かった20年前のデート場所であったそうです、今は元恋人達が子供をつれて歩く姿が有りました。
この徳寿宮内には日本統治時代に日本人が監督し作った大理石の立派な建物が有り現在は博物館になっています。館内には朝鮮王朝末期の遺物が展示されています、日本語の説明イヤホーンも2千ウオンで貸してくれます。
トクスグン

 観光客がよく行く「秘苑」の隣りにこの昌慶宮(チャンギヨングン)と言う宮殿が ります、この写真はその正面です。
この宮殿も秀吉軍に焼き払われ1616年に再建されました、ソウルに有る朝鮮王朝時代の建物は全て秀吉の侵略軍に焼き払われたようですから説明文にはいつも1592年の壬辰倭乱の文字が出ます。韓国の子供が学校での歴史教育とこの様な旧跡の説明文をあちらこちらで目にして育つ事を考えると日本に対する悪いイメージが出来上がる必然性も理解しなければならないと思います。
昌慶宮(チャンギヨングン)

 美しい昌慶宮の庭園です。しかしここは日本統治時代に動物園になった所です。案内してくれた金アジュマが子供の時遊びに来たそうです。金さんが案内しながら、ふと「日本人はひどいですよ。こんな所を動物園と遊園地にしたんですから」と漏らしました。

 当時どんな事情でここを動物園にしたのか知りませんが、またソウルの人々の憩の場所を作った事は良かったかも知れませんが、何も宮殿の庭園に作らなくても・・・と思いながら眺めると樹木がいずれも若く古木が少ない事が近年に起こった出来事を物語っています。
昌慶宮の庭園

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