2003年10月 |
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まだ暗い朝の6時にアパートを出発しました。今日は会社から自家用車を借用し日本海側にある統一展望台へでかけます。ソウル外環高速道路を北に走る車の中は会社の運転手と貿易部の田さんと私の3名です。
韓国政府は高速道路の拡充に力を入れているようで近年の高速道路網は目を見張るものがあります。現在でもいたるところで新規工事が継続しています。日本のように作り続けた反省がいつか出るかもしれなと考えているとファナン(河南)ICに着きました。ここから一般道路の国道6号線に入り南漢江沿いにヤンピョン(楊平)に向かいます。 夜が明けてきた頃、朝もやの中に韓国特有のなだらかな稜線をもった山々がうっすらと見えはじめました。このヤンピョンはソウル市民のリゾート地帯となっていてホテルや観光施設が多く日曜日には多くの家族連れやアベックで賑わうところです。
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ヤンピヨンから国道44号線に入りホンチョン(洪川)市に向かいました。このあたりは農業で生計を立てているのでしょうか。道路と低い山の間のあまり広くない畑が横に並んで続いています。やはり兼業農家でしょう。今年の米の収穫は例年の90%ぐらいと運転手の金さんがポッツリと話してくれました。韓国も異常気象で農家は打撃を受けているようです。 両側に穫り入れ前の黄金色の米畑が続きその向こうに薄い煙のような「もや」がたなびいて流れていました。その上になだらかな山が覆いかぶさるように迫っている風景が後ろに飛んで行きます。よく韓国人が自慢する韓国の山の美しさはこのような風景を言うのだろうか、と感じました。優しくやわらかい感じのする女性的な山々です。 ホンチョン(洪川)近くのサービスエリアで2500ウオン(250円)のうどんを注文し立ち食いでの朝食となりました。 出発前にトイレで用足ししていると、おばさんが入ってきて平然と大に入っていきました。どうやら急を要すのか入り口の表示を確かめずに来たらしいです。駐車場に戻ると私の車の隣に大型観光バスが止まっていました。バスの周囲におばさん、おじさんの集団が集まって来て乗り込んでいます、話の様子から農業関係の人々の観光旅行のようです。さっきのおばさんが小走りに戻ってきてバスに乗り込んで行きました。
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ソウルを出て3時間近く、山あいの道がくねくねと縫うように続いていて舗装された両側にはコスモスのピンクの花がずっと続いていました。バックの黄金色の畑に映えてとてもきれいでした。山がだんだん迫ってくると今まで見えなかった渓谷が左側に目に飛び込んできました。 このあたりの川は漢江の源流に近いのではと地図を出して確認ました。同行の田さんと金さんがなにやら話したと思ったら突然車が停車しました。オクスス(とうもろこし)の路上販売所であった。この付近のとうもろこしは美味しいので有名だそうです。美味しいよ、買って行きなさい、安くしておくよと声をかけながら盛んに薦めるおばさんが販売していました。蒸かした「とうもろこし」が柔らかそうであったので3本を2000ウオン(200円)で購入し車内に戻り早速食べてみました。なるほどやわらかく甘みがあり美味かったです。 車はインジェというところに近づきました。金さんの「朝鮮時代は人がなかなか近づけない場所だったのです」という説明にかつて読んだイザベラ バード(イギリス人)が1894年(明治27年)に朝鮮各地の紀行記に書いていた金剛山への旅はこの地方を通過したのかもしれないと思いました。当時はこのあたりにトラが沢山住んでいて旅行者を苦しめた様子が書かれていました。 インジェを過ぎ少し行くと46号線に入ります、このまま44号線を行けばソクチョ(束草)方面にゆき東海(日本海)に出る筈です。山はますます道の両側に迫ってきました。車内から山頂を見上げるとゴツゴツした山容に変わって来ています。観光地で有名なソラクサン(雪岳山1708m)国立公園の西側の縁を走っているようです。
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1時間半くらい韓国の山容と畑を見ながらしばらくすると平野部になりました。もう直ぐ海岸にでるはずと前方に注意していると家が多くなり車は街中に入っていきました。ここがカンソン(杆城)です。 突然松林を透けて海が見えてきました!東海(日本海)です。韓国と日本でこの海の呼称で対立していますが韓国に住んでみるとこの海は日本海より東海の名前がピッタリする感じがします。この東海の青々とした色と砂浜の白さがこの海岸の魅力です。韓国人が休日に東海、東海と集まるのは理解できます。同じ刺身でも東海の刺身の方が断然美味しく感じる訳です。 ここから東海沿いにある7号線で統一展望台に向けて北上します。コジン(巨津)やファジン(花津)を通りながら帰りの刺身をどこで食べるか話し合いました。話がまとまらない内に「統一保安公園」というところに到着しました。丁度10時少し過ぎたところでした。ソウルから4時間掛かったことになります。 全ての車はここで一時停車し展望台観光の申告をしなければなりません。申告書を書いて一人2000ウオン支払いました。申告書の内容は簡単で代表者の住所電話番号氏名年齢と同行者の氏名・年齢を記入しただけでした。。
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さあ出発と思ったら保安教育があるということです。保安教育場所の入り口に外国人は必要ないと書いてあったが参考のため一緒に入場しました。保安教育といってもDVDを10分程度見るだけで中身はほとんど南北統一の意義など韓国人へのPRでした。 途中で韓国兵から注意事項の書いてある入所書を貰い15分ぐらいで統一展望台に到着しました。高校生のような学生が10名ぐらい集まって韓国兵の服装を手で触れながら説明を聞いていました。日本からの学生かと思って傍によってみたら中国からの学生でした。 110段の階段を登り展望台記念館前で記念写真を撮り、展望台へあがってみました。「軍事施設の撮影禁止」と書いてあるが展望台から北側をみて写真を撮れば全て入ってしまいます。韓国人もみな北側に向けてパチリ、パチリと撮っているのであまり意味が無い看板でした。 展望台から北側を見ると国道7号線の連結工事が大々的に行われていました。鉄道も道路も南北の将来の統一準備と考えれば理解も出来ますが今までの太陽政策は正しかったのか疑問もあります。金大中前大統領の金正日総書記の会談の裏に5億ドルの金が北に流れた事実や韓国の各方面からの北支援が行われています。支援が本当に北の国民のためになってなくて軍部強化体制の維持につながっているのではないか?韓国人も疑問を持っている人も多いのです。 韓国には「ウリ ガ ナミガ(我らは家族ではないですか)」という言葉があります。会社でも不良を出す外注会社の対応にに甘く感じるのは焼酎を飲み交わせば家族ではということでうやむやになることがあります。 「反日感情の残る韓国がなぜか住みやすい」という日本人が多くいますが家族という概念が付合いの中で非常に濃厚になればなるほど本当の家族のようになり住み易くなるのは事実です。北朝鮮政策にもこの気持ちが反映しているのが韓国ではないかと思います、若い世代にこの気持ちが多くあるように見受けます、「反米親北」と言われようが「北の代弁者」と叩かれても同胞ではないか!家族ではないか!という気持ちがありなかなか日本のように切り変われないのです、当面太陽政策は続くと私は思います。
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展望台から帰るときは12時頃でした。兵隊に入所票を渡ししばらく南に下ります。途中に金日成の別荘があったところに記念館があるというので立ち寄りました。東海と湖に挟まれた小高い丘にそれはありました。かっての建物は無く新たに記念館になっていました。中には金日成に関する歴史資料が展示されていました。金正日が幼い頃この別荘で過ごした時の写真があり興味深く見ました。 近くには李承晩大統領の別荘もあるようでこの辺りは昔から風光明媚な場所であったようです。午後1時を過ぎたので食事の場所を探すことにしました。地図でみると巨津(コジン)というところが刺身の食事がありそうです。車を海岸に向かって進むと漁港があり食堂が並んでいました。アジュマ(おばさん)がサービスするからと言って盛んに客引きしている食堂に入りました。 ヒラメは解るがあとは名前が思い出せません。適当に選んで刺身にしてもらいました。こんな場合刺身をツマミにしてビールを飲むのが私のスタイルですが、今回は勧められるままに口に合う薬種焼酎を注文しました。このような食堂では一般的に韓国焼酎が韓国人スタイルです。隣のアジュシ(オジサン)グループも刺身と焼酎で議論していました。酔いが回るとどこの国の男も大きな声でクドクドと話しをしますね(笑)。刺身を食べ終わると最後にメオンタン(白身魚の辛子煮)とご飯で食事ということになります。全部で6万ウオン(6千円)の昼食でした。
食事のあとはもう帰るだけですが、ソウルに向かって来た道をひたすら走るが途中は工事中の渋滞があったりソウル近くでは帰宅する車の渋滞でアパートに着いたときは8時近くなってしまいました。5時間半近くかかったことになります。 |
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