対日強硬策は百害あって一利なし


日本の歴史教科書歪曲問題に対する政府の対応を見ると、国家利益の概念の無さや外交機能の麻痺がうかがえる。最修要求の当為性や妥当性に疑問を唱えるわけではない。しかし、政府が発表した措置は、歴史教科書の再修正という目標達成への実効性もなく、むしろ韓国が払わなければならない代価があまりにも大きいため、国益に合った賢明な政策とは言えない。

まず、目的と手段の不均衡が甚だしい。再修正要求は、長期的な努力を要する課題だ。そのような課題を達成させると大統領が公式的に明らかにしたことで、韓国政府への評判と外交力をその政策の成功に結びつける形となった。目的実現のために、期限を設けず、できるだけ多くの外交的努力や資源を投入すると言う。失敗した場合の韓国外交に与える損失を甘んじて受入れるようだ。

すでに発表された政府の措置は、さらに強硬な措置になると言う。日本の大衆文化の追加開放や教師や学生の交流を中断するというレベルを超え、国際社会から日本を孤立させるとまで断言し、政治、外交、安保面での協力を凍結する構えだ。対応政策の段階的な強硬化は、日本の報復措置などに繋がり、韓国の国益全般にマイナスの影響を及ぼす恐れがあるにもかかわらず、それをも辞さないと言うのだろうか。教科書修正要求を貫徹するために、どの程度の不利益を覚悟するのか、冷静に判断しなければならない。

大統領府青瓦台(チョンワデ)の方針によって、政府省庁が我先にと強硬策を公表する状況は、政府に期待される冷静かつ体系的な外交政策の決定とは程遠い。問題は、国内政治への考慮と対北政策しか頭にない大統領の側近らの考え方や価値観、判断基準が、正常な外交機能を圧迫し、麻痺させているのではないかということだ。

韓国政府が、教科書問題に強硬な態度を取ることに対して、特殊な韓日間の歴史的関係、教科書問題の本質的性格、韓国の国民感情、韓国の指導者が感じたという裏切り、日本の右傾化への憂慮など、多様な解説がある。この他に、二つの解説を紹介しよう。

国際政治学の数々のアプローチと概念の一つに、精神分析学的概念である対象代替(displacement)というものがある。韓国の現況に適用してみると、国内に積もりに積もった政府へ不満、憤り、批判を日本という代替対象に転換させて解消するというものだ。政府がどの程度これを意識して対日政策を推進させているのか分からないが、少なくとも結果的にはある程度その役割を果たしていると言える。

二つ目の見解は、現政権の最優先政策は太陽政策であり、他の全ての対内外の政策は、対北政策、なかでも金正日(キム・ジョンイル)総書記の答礼訪問の実現に縛られていて、その目的達成に寄与するか否かが、政策決定の基準になるということだ。対日強硬政策が、対北政策への批判を転換ないし弱め、北朝鮮および中国との実質的な対日連帯闘争姿勢を説明することで、金書記長の答礼訪問のムード作りになるということだ。

もしそのように考えているのなら、政府の誤算だ。北朝鮮は、韓国が日本や米国に対し「自主性」を誇示することを理念的にも原則的にも歓迎するだろう。しかし、日本や米国から信頼されず影響力を行使できない韓国に、北朝鮮がどの程度魅力を感じるかは疑問だ。

政府が、国内の強硬論に押され、生ぬるい対応策を捨てて強硬ポーズを取っているとの説もある。現実のところ教科書問題がこのような展開を見せるとは、両国の政府も予期できず、高官レベルで政治的解決策を模索する機会も逃した。新たに築いた韓日和解協力の枠組みが崩れる方向へと向かうことを防ぐためには、早期収拾が欠かせない。しかし、現在、両国の政府には適切な収拾案がなく、近い将来に妥結策を見出す可能性も薄いと見ている。問題の教科書採択規模が限定されたとしても、それは内容修正という目標とは次元の違う問題だ。

10月に予定されている韓日首脳会談をめどに、妥結の糸口を探ることを期待する識者もいる。しかし、そのような期待も、南クリル諸島(北方四島)沖のサンマ漁問題の円満な解決と日本首相の靖国神社参拝がもたらす問題が、あくまでも統制不能な状況へと悪化しないという前提の下でのことだ。

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