韓日文化交流のジレンマ


日本政府が、歴史教科書の「わい曲」記述是正要求に対して最修正の意思がないことを明らかにしてから、韓日関係が急速に冷え込んでいる。今回の事態は、外交関係のみならず文化交流にも陰を落としている。早くも数々の韓日交流の行事が中止され、中学校や高校で続けられてきた青少年の交流事業が中断される事態となった。さらに文化観光部は、日本の大衆文化の第4次開放措置を先送りする意思を明らかにした。

このような対応は、激しい竜巻を連想させる。歴史問題をめぐる日本との葛藤は、以前にも似通った形の結果を招いた。歴史の真実を認めようとしない日本に対し、韓国側が被害者として感情的になることは無理もないことだ。 しかし、このような竜巻のもう一つの顔は、風が止んだ後にはいつそんなことがあったのかと言わんばかりに簡単に忘れてしまうことだ。今回の教科書問題も時間が経てば、世間の関心事から消え去るだろう。朝鮮総督府の建物の撤去が思い出される。日帝時代の遺物を清算すべきだとし、大層な記念行事を行って建物全体を取り壊したことが昨日のことのようだが、今では建物の存在さえも人々の脳裏から消え去ってしまった。総督府の建物のために景福宮(キョンブククン)のあった場所を明け渡さなければならなかった歴史の教訓が共に忘れ去られないことを望むだけだ。ならば、これからは日本との問題を扱う際にはより理性的に対処すべきではなかろうか。すぐに興奮して一瞬にして忘れてしまうよりは、長い目で対処していかなければならない。

そのためにも日本に対して譲れないことは一歩たりとも譲ってはならない。しかし、これとは別に、日本が地理的に隣国として避けることのできない存在ならば、平素の交流は交流として進めることが望ましい。代表的な例が文化の分野である。しかし今回の政府の対応策の中には、即興的で拙速な対応が目につく。来年のワールドカップを前に政府レベルで設けられた韓日共同文化行事を中止する動きや日本の大衆文化開放を中断することは問題だ。

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