わたしの見た日本
李さん (女子中学生:1年)
  多くの期待と不安感で出発した日本家庭への訪問であった。日本の表面的な姿だけを見る旅行とは違って日本の風習、礼儀などを感じさせてくれた。

 行く前は何も知らない国に行くのが本当に期待より不安の心が多かった・・日本語も知らず・・・しかし若いですから挑戦してみるという心で軽く踏みだしました、そして少なくても頼りにできることがあったのは兄さんが一緒に行くので心強く感じました。日本に行く前にはお互い遊んだり喧嘩したお兄さんが日本のことは何も知らない言葉も知らない兄さんですが頼りになりました。
 そしていろいろなものを感じて習うことが出来ました。韓国から一緒に行ったお兄さんやお姉さんと皆親しくなり、また外国に出ると愛国者になるという話が本当であると感じました。

 何日も住まなかったけれど韓国が懐かしく感じました。日本で会った韓国人のおじさんが日本を誉めたとき、私は韓国でも誉められる事がいっぱいあると興奮して叫んだ、しかし認められるべきことは認めるべきと感じたこともいくつかありました。
 その中で一つは「あいさつ」でした、私は日本に到着したその日もまた行く先々でそのことを感じました、家の中でも何十回となく挨拶し・・・
韓国は東方礼儀の国という名前が付けられるほど礼儀正しいのですが日本はもっと「あいさつ」だけは韓国より一つ上と感じました。

 もう一つ選べと言ったら「親切」を選びます、私が日本の百貨店にショッピングに行った時のことでした。私が注文の仕方をみて外国人と感じて計算する時に値段を一つ一つ指で押しながら金額を教えてくれました、これも一つのビジネスでありサービス業であるけれど売るための本当の親切さを感じました。
日本はこの二つの良い点だけでなく、沢山の良い点が有りましたが特別に私が感じた大きな点はこの二つでした。

 一番思い出に残るのはホームステイで「ともこ」と一緒に行った夏祭が一番の思い出として残っています初めて「ゆかた」を着たので良い思い出になっています。
 そしてこの夏祭りでチョンソニ姉さん、チュヨン兄さん、チェリー姉さん、ウナ姉さんと皆が「ゆかた」を着て会い一緒に写真を撮ったりいろいろ話し会いました。また心に残るところは韓国と日本学生が一緒に行った日光が思い出に残っています。
 「ともこ」と「ゆみ」はクラブ活動のため出席できなかったが韓国の姉さん達ともっと親しくなることが出来た。

 最後に記憶に残ることは韓国人の兄さんが通っている大学の見学である、小さな地方の大学であったがいろいろな施設と資料が沢山ありました。英語を勉強するところや物理治療科には実際に実験できる施設が設置されていて、障害者、老人、妊産婦が体験できる施設がありました。
 以上で「私が見た日本」は秩序があり綺麗で親切な国であった。終わりに感じたもう一つは日本は韓国と近くて遠いという考えをもった、しかし希望を感じられることはお互いに親しくするための努力をしていることである、たとえば韓国の日本文化開放、そして一番大切な2002年ワールドカップ共催!!日本と韓国が一つの国のように親しくなる日が一日も早く来て欲しいことを祈りながらこの文を終わります。


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