全国に分布する古代の高い朝鮮文化水準を伝える発掘物や、忘れられたりあるいは隠された真実を韓国人の立場から探った内容ですが日本人の歴史学者や考古学者の研究を引用しながら記述している点が我田引水にならない内容になっています。文庫判シリーズ(9冊)の中で本巻は関東編で次の内容が含まれている。
「内容」
相模国の遺跡・武蔵野の年輪・北多摩の古墳・甲州街道から浅草へ・武蔵を後に下野へ・足利・秩父の渡来人
・房総・常陸をたずねて・上野に残された痕跡
私の住んでいる那須地方の記事も興味深い内容でした。日本三古碑の一つである笠石神社にある「那須国造碑」 は近くにあります。面白いのは著者は那須国造、那須氏自体が「帰化人」の朝鮮渡来氏族ではなかったかと
推論しているのです。と!すれば源平合戦での那須与一公も朝鮮から渡来した血が流れていたのかもしれません。
昨年、埼玉県の西武秩父線の高麗(コマ)駅で下車し、日和田山(305m)〜物見山(375m)のハイキングを楽しんだことがあります。7世紀に高句麗からの渡来人が住んだところで日和田山の前面に広がるのは、古代朝鮮文化の香りを残す高麗(コウライ)の里だった場所でした。高麗川が蛇行しながら流れている近くには高麗神社もありました。
この地を含めて著者は武蔵野が朝鮮人の移住地であっただろうと推測しています。武蔵という言葉も朝鮮語から来たものとしているのですが・・さてどうでしょうか?関東地区だけでも多くの朝鮮文化が残っていることが解り、日本全体ではどのくらいのものが残っているのか興味は尽きません。朝鮮半島からの渡来人を抜きに日本の古代は語れないと思いました。
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