2017.6

 木浦市は韓国全羅南道西南部の人口23万の都市である。ここにある儒達山(ユダルサン)に登って海の幸を食べてくるといいと以前から勧められていた山行きだった。登る機会がやっと出来たのでKTX(韓国高速鉄道)や宿の予約を韓国の友人に依頼してもらいソウル郊外にある光明駅から木浦駅(モッポ)へ出掛けた。

 改札口が無い光明駅のホームに直接入って列車を待っていると定刻に列車がて乗り込み友人のスマホに表示された座席にった。2時間10分(料金:4500円)で木浦駅に到着したがこの間検札などなかった。到着ホームから外部に出たので改札を無くした韓国の方式を体験した。
 
▲木浦市の儒達山
 
 木浦駅はこじんまりとした駅舎であったが売店、観光案内所などの施設はきっちりとそろっていた。観光案内所で儒達山の日本語の案内書があるか聞いたら木浦市の案内パンフレットくれたので眺めていたら、同行の韓国人二人は外に出てどんどん先に歩いて行ったので慌てて後を追った。

 道路沿いを少し歩いて右に曲がると急坂の先に岩山が見えた。坂を登ったところの広場が儒達山の登山口だった、ここまで20分ぐらいだったので木浦駅からは非常に近くにある山だった。

 左手にある大きな岩は露積峰(ノジョクボン)という名前が付いていて壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のとき、李舜臣(イ・スンシン)将軍がこの岩を藁で覆ったところ、これを遠くから見た敵軍(日本軍)が兵糧米が積まれていると勘違いし、恐れをなして退いたので少ない兵力であったが戦うことなく敵軍を退けたという逸話があるという説明を受けた。

   
 ▲木浦駅  ▲先に見えるのが儒達山 
▲露積峰(ノジョクボン)という岩 ▲儒達山の登山口

 露積峰の反対側の石段を登ると李舜臣将軍の像があり登山道が続いている。儒達山は海抜228mなので誰でも登れる低い岩山だ。足元はきっちり整備されたコンクリ階段、石段、敷石の道を若者、中年夫婦、子供連れの家族などが行き交っていた。

▲李舜臣(イ・スンシン)将軍 ▲日本時代に時を告げた砲だという
 
 途中でこの儒達山地域が立体的に描かれた案内板あった。山全体を取り巻くトレッキングコースやいろいろな施設が整備されているようだ、我々が目指す登山道は岩の間をよじ登るような感じだ。

 気温が高くなり急な石段の登りでは汗だくになり途中の茶店でアイスを食べて一休みした。駅で貰った案内書を眺めてみると頂上は一等峰と書いてあるが、現場のハングル表記では一等岩となっていた(この程度のハングルは理解できた(^o^))。

 
▲儒達山の周辺を回るトレッキングコース(赤線)

▲整備されている登山道

 石段を登って行くと砲台跡や見晴らしのいい東屋風の休憩所などが現れた。ここでは数人の観光客が休んでいたが韓国人のおじさんが海の先を指さして「あそこに見えるのが沈没したセオウル号だよ」と教えてくれた。確かにかすかに黒ずんだ船体が遠望できた。

▲韓国風らしい休憩所 ▲右手奥にセオウル号が見えた
▲くじら岩  ▲石段が続く 
             

 急な石段を登ると正面の岩峰群と向き合っている見晴らしの良いピークに出た。正面の尖った岩峰が一等峰だった。角度を変えてよく見ると手前の岩の下のほうに植民地時代に日本仏教が上陸して掘られたという不動明王の磨崖仏が見えた。

 この山はあちらこちらに照明器があったので夜間にライトアップされるようである。夏期には夜間も登れるようになっているようだ。帰国後にこのような「ライトアップされた写真」があったので紹介する。


                 ▲正面の岩が一等峰
 
   ▲不動明の磨崖仏と二等峰 
                                       ▲美しい多島海の風景       
 
 ここから一等峰の頂上へはこの岩峰群から稜線を伝うことはできないので一端降りて迂回してすることになっていた。ルートは岩場の根元を半円を描くように石段が作られていて登って行くと頂点に達した。頂上は狭く岩が折り重なり、細長くなっているが鉄柵が設置されているので安全に素晴らしい多島海のパロラマ風景が堪能出来た。ここまでゆっくり登って約1時間だった。

▲一等峰へ最後の石段 ▲多島海と二等峰
▲頂上(228m)の表示板と共に記念写真  
 
 頂上は狭いので次々と登ってくる人に場所を譲り下山することにした。途中からトレッキング道に降りて迂回することにしたが土の道が足に優しく感じる。途中に腰痛を治す岩があったり寺の石段の下で熱心にお祈りを献げているおばさんに会ったりした。

▲腰痛治療の岩と言うので(^o^) ▲熱心にお祈りをするご婦人
▲元の登山口に戻った ▲「精気」は韓国人は好きな文字だ

 木浦駅から近いこの儒達山は全体が儒達公園、絶好の観光スポットとなっていて一時間ほどで一等峰の頂上付近の岩場から素晴らしい多島海の景色を楽しむことができた。またこの木浦市は日本時代の建物や町並みなどが残っているので過去に日本との深いつながりがある地域でもあった。



 韓国ではホンオフェ(カンギエイの刺身)は高級食材として冠婚葬祭には欠かせない。中でも木浦産が最高級と言われているそうなので山歩きの後は食べないわけにはいかない。

タクシーの運転手が案内してくれたフォンオフエの食堂は外観は古くさいし室内も明るくなかったが木浦地域の郷土料理のホンオフェ(刺身)を食べせる雰囲気があった。

 発酵させたガンギエイに茹でた豚肉と古い発酵キムを重ねて口の中に入れて食べるのだが不思議に強烈なアンモニアの匂いが消されキムチの味に合わさりまろやかな味になる。そしてマッコリを流し込むとなんとも言えない独特で微妙な風味の食べ物になる。

 ホンオフェと豚肉、キムチの三種類の物を会わサンチュやエゴマの葉に包んで食べるから韓国人はこれをサマプ(三合)と呼んでいるが好きな人は大勢いるが嫌いな人は絶対に食べない。日本人にはほとんど食べれないかも知れない。

 山歩きで汗を流し、体に良い体に良いエイの料理を食べて、早寝、早起きの生活で心身は快調である。同行し案内してくれた韓国の友人に感謝!!

▲ホンオフェ(刺身)を食べて元気になる



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