2008年11月

 

  日本企業のソウル支店長のP氏が南漢山城(ナマンサンソン)を紹介してくれたので軽いハイキング気分で出かけた。ソウル市内から車で4〜50分ぐらい南東方面に走ると北漢山城と書かれた門があった。この立派な門は以前は有料道路の集金所だったそうだ、ここを通過して少し行くと急な角度で右に回ったところが南門駐車場だった。

 南門の城壁に登り右回りに歩くことにしたが、城壁に沿って小山を登ったり下ったりで一周の7.7kmを歩いた。この山城はソウルの北側にある北漢山城(プッカンサンソン)ほど有名でないが春には鬱蒼とした木々の若芽が山全体を覆い、秋には真っ赤な紅葉で賑わう山歩きを楽しめそうです。約3時間半の歩きは大変良い運動になった。

 
南門に向う途中にある過っての料金所
駐車場から見た顕彰碑(?)群
駐車場から少し歩くと堂々とした南門(至和門)が見えた
南門付近の城壁の上部
周囲にはこのような暗門と呼ばれる秘密口が10か所ある
守禦将台(スオジャンデ)は戦闘時の指揮所 外側から見た西門
   南漢山城は首都ソウルの北に位置する北漢山城とあわせて、南北から首都を防御する要の城塞として規模も大きく、内部には王の離宮跡、寺、見張り台跡、貯水池跡などの施設が並び、4つの城門も城壁も立派なものである。最高点はチュンリャン山(483m)でここに守禦将台(スオジャンデ)とよばれる戦闘の際、司令部が再建されていた。

 約2000年前の高句麗時代に造られた土城でその後何度か改築し朝鮮時代の1621年に光海君が本格的に築城した姿が現在の残っているとある。しかし最初の築城年月は百済時代ともいわれているがはっきりしない。駐車場入り口で貰った案内書によれば新羅時代672年に唐に対峙するために築城され書長城(チェチャンソン)別名を日長城(イルチャンソン)と呼ばれたと書いてあった。
延々と山々を巡らした城壁の内側を歩く
 
立ったままオニギリを食べて出発する
外側から見た北門
健康つくりの中高年のグループが多い
   
 頂現在の城壁は17世紀始めに、後金の侵略に備えて大々的に改築したがホンタイジ(1592-1643)の軍に攻められてここで40日間籠城した。城自体は堅固で落ちなかったが、江華島を始めとして主要地を落とされたのと糧食の不足から、時の王仁祖は降伏して城門を空けることになり朝鮮は清朝に服属させられた。(丙子胡乱)
城壁近くにあった長慶寺の山門
昼食中の団体
まだまだ歩く・・
 
城壁が崩壊してる所もある、近くで修復中
南門が見えて来た、正味3時間半の山歩きだった
 朝鮮は絶えず陸続きの中国大陸からの侵略を受けながらも独立を維持してきが日韓併合があり現在の南北分断とまだまだ大変で悲しい歴史が続いている。

 南漢山城への行き方は地下鉄8号線山城駅からバスかタクシーで10分〜20分ほどで、城内中心地点のロータリーまで行くことが出来る。ロータリー周辺はたくさんの飲食店でにぎわっていた。


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