みちのく一人旅

2016年6月


   青森県の八戸市から福島県の相馬市までの太平洋沿岸の700kmという長い歩く道を「みちのく潮風トレイル」と名付けて環境省が主体となって整備している。この長い歩く道の一部の気仙沼ー釜石間を4泊5日間で歩いた。しかし体力的に無理は出来ないのでバスや電車などを部分的に使用して歩いた距離は一日で15〜20kmぐらいだった。

 海辺の美しい風景に出会い、大規模工事の現場に出会い、新鮮な海の幸も食べて、見ず知らずの人々との出会いがあり心温まる親切さを味わってきた。一人旅は寂しいしといわれるが山歩きでも木々や花との出会いがあるから寂しくはないが、誰にも頼れないという厳しさがある。

 誰にも気を使わなくて良いという気楽さもある。何を食べるのも自由気まま、何時に起きなきゃ行けないなどと考える必要も無い。たとえ目的の電車が出発してしまったならば、次を待てば良い話だ。目的地を変えたって誰からもとやかく言われない、これが一人旅の魅力でもある。
 
この区間をどう歩くか一応計画して来たが現地では計画通りには行かなかった
   大島ー陸前高田(一日目・5月31日)
   
 JRジパング倶楽部の3割引の切符を買って4時間かけて気仙沼に到着した。ここから気仙沼市内が一望できる安波山に登ってから港近くの復興屋台村などを回ってから宿のある大島にフェリーで向かう計画だった。

 翌日は陸前高田に行く途中にある景勝地の唐桑半島「巨釜・半造」に寄れないかと思い、駅前にあった観光案内所で聞いてみるとバスなどの公共交通機関では時間的に非常に非効率で殆ど無理であることが分かった。諦めるしかないと思い明日は大理石海岸から陸前高田まで歩こうと考えた。

 
JR気仙沼駅
    
 気仙沼駅の写真を撮って安波山に向かって歩き始めたら横に小型車が止まった。車内から中年の女性が「良かったら車に乗って、送ってあげる」と声がかかった、よく見ると観光案内所いるときに横に居て一緒に聞いていた人だった。

 「ほんとうに、良いのですか!」と返事しながら車に乗った。私の歩く方向が逆の方向だったので心配になり車で送ろうと思ったようだった。車内で「巨釜・半造」まで行きたいなら今からそこまで送ってあげるという、恐縮したが「これも何かの縁」だからという言葉に甘えて安波山は翌日行くことにして「巨釜・半造」までお願いした。

 彼女の話しをいろいろ聞いたところ自宅は流されなかったが親戚が津波被害にあって大変だったようだ。その後に自身も発病して今でも病いと闘っている様子で驚いたと同時に思わず頑張って下さいと励ました。出発して30分ぐらいで「巨釜・半造」の駐車場で降ろしてもらい帰りのバスなどの情報も教えていただき別れた。旅をしていてこのように受けた親切が身に染みて有り難かった。西城さん!本当にありがとうございました。

 海岸べりに遊歩道を降りて行くと太平洋の雄大さを感じた。大理石の石柱が海の中から突き出ているような姿は自然の偉大さ、雄大さ、荘厳さには心打たれた。素晴らしい景観に堪能し感動さえ覚えた。

送っていただき説明してくれた さようなら西城さん、ありがとう 
巨釜・半造の折石
「海中からそびえる高さ16m、幅3mの大理石の石柱は明治29年の三陸大津波
の際に、先端が約2mほど折れたことから「折石」の呼び名が付いた」
 
巨釜・半造の景観

 案内書によれば前田浜から沖合を見た時に、大きな釜が沸騰しているように見えたことから「巨釜」と呼び、海の資源が豊富で、アワビ等の貝類で繁昌したことから、「繁昌」がなまり「半造」となったと言われている。

 ここに来る時にバス停があり歩いて30分ぐらいと聞いていたので気仙沼まで戻ることにした。バスは一日数本しか来ない場所なのでちょうど良いバスがあるか分からない、分からないから自然に歩くスピードは速くなってくる。バス停に着いた時には汗が出ていた。バス停の時刻表では45分後に来ることになっていたのでベンチで休んいると時刻通り気仙沼行きのバスが来た、乗客は一人だけだった。

気仙沼港  大島へ行くフェリー
気仙沼港に戻って港の様子や復興屋台村など観ていると急に空模様が悪くなり雨が降りだしたのでフェリーに乗った。       
   


  大島ー陸前高田(二日目・6月1日)
   朝の5時に散歩に宿を出て海岸への道を一回りしてから高台方面に歩いていたら地元在住の60歳代のおじさんと出会った。地元の災害復旧などの話しを聞いた。
宿から海岸へ 早朝の海岸
 
 この人は毎朝この島にある亀山(325m)まで健康維持のため登っているという。一緒に登りませんかと誘われたので朝飯前だが急遽登ることにした。途中は急な登り道もあったので山頂まで50分ほどかかった。

 山頂にある展望台に登って周囲を眺めた。朝日に照らされて島が輝いているようで素晴らしい景色だった。震災の津波が眼下に広がっている港から対岸までこの島を二つに割ったそうだ。説明してくれているおじさんの家も全て流され海岸近くで営業していた寿司屋も廃業したという、素晴らしい景色が悲しい話しで打ち消されそうになった。
 
 
 亀山の頂上へ着いた(朝の6時)
 
 朝の美しい大島風景 
(震災時は左右からの津波でつながったという)
   大島からのフェリーを降りて気仙沼から計画していた「安波山:239m」に登ろうとしたが・・・朝飯前の亀山(235m)の往復登山で多少疲れた。行き先を急に変更してにJR気仙沼駅まで歩き隣接している「BRT(バス・ラピッド・トランジット=バス高速輸送)」に乗って陸前高田方面に向かった。
 
気仙沼港へのフェリー BRTのバスに乗って陸前高田へ
 
 BRT運転手に陸前高田の「奇跡の一本松」に行きたいと話したらその名前の駅があるからそこで降りた方が良いと教えてくれた。かさ上げ工事中の中にBRT駅があり降りて先ずは「奇跡の一本松」に向かったが、あいにくレプリカ一本松の点検日で近くには行けなかった。

 津波に耐えた「奇跡の一本松」として1億5000万円かけてカーボン製の心棒をつかったレプリカを作った話しは聞いていたが「どうして立ち枯れという現実を受け容れないのか」「無駄使い」という声がある中でこの松を観に来る人も多い。この松が未来に向けてのメッセージになるのか今後の保全費用などは市民が負担するのかと思うと陸前高田市民はやっかいな物を残した事にならないのか疑問の話も聞いた。
   
奇跡の一本松
 
 近くに居た工事の監督者らしい人に向こうにあるつり橋は道路を作るのか聞いたら、「いや、かさ上げ用の土砂を山からベルトコンベヤーの支柱の橋で現在は解体中です」との答えにびっくり、そういえば以前TVでコンベヤーで運搬して居る画像を思い出したがそれにしても現物を直接に目前にするとその巨大さがわかった。

 かさ上げ中の現場を眺めながら市役所、観光案内所まで歩きそこで復興工事の話を聞いた後はホテルまで歩いた。今日は工事現場を歩き回ったせいもありスマホでの歩数は27,000歩となっていた。 
 
   
復興工事風景と看板

   碁石海岸ー三陸町(三日目・6月2日)
 
 ホテルから近くにあった「BRT」に乗って計画していた「碁石海岸」に行くことにした。この路線に碁石海岸駅があるので距離的にもここが適当だろうと地図で確認し降りて歩き始めた。

 T字路に出たので、通りかかった小型車に乗ったおばさんに碁石海岸への道を確認したら「この方向だよ」と言われた・・・がスマホのGoogle mapの表示と一致しないのでしばらくスマホを操作していたらさっきのおばさんが戻って来きた。
ドアーを開けて「この車に乗りなよ、わかりやすい所まで送ってやるよ」と声がかかった。ありがとうと有り難く乗せてもらった。ここなら一本道だからと降ろしてくれた「この道を左、左と行けばいいよ、工事車両に気を付けて」と注意をしてくれた上に「右に行くと海に落ちちゃうよ」と余計な心配までしてくれた。

 車から降りたところはBRT細浦駅近くであった、後で解ったことだが細浦駅から県道が通っているのでこの道の方が確かに解りやすかったのだ。またしても旅の出会いでのおばさんの温かい親切に感謝した。出会った人々は何らかのかたちで津波の被害にあっているが悲しみを乗り越えて頑張っていた。

 
歩道が狭くなり、工事車両がひっきりなしに通る
 
 壁の外側には美しい海が広がっていた
 
 小さな港でも堤防工事が進んでいるので工事用車両が多い、歩道もないから歩行中はすれすれで車が続くので危険なこともある。約1時間ほどで碁石海岸に着いた。しかし「みちのく潮騒トレイユ」の道としての表示は無かった、このエリアは自由に歩きなさいという意味もあろうが初めての訪問者には効率的で歩ける道しるべは有った方が良いのではと思う。

 乱曝谷、雷岩、大船渡市立博物館など見学し碁石海岸レストハウスに戻ったらバスが止まっていたので、バスの運転手に聞いてみると、私の希望先をいおりろ聞いて答えをだしてくれたバス運転手は、まるで観光案内所の人のように親切に対応してくれてBRT大船渡駅近くで降ろしてくれることになった。

   
乱曝谷では東京から車で来たという若い夫婦に出会った
 
 BRT大船渡駅近くでバスを降りて少し歩くと「大船渡魚市場」という施設があったので立ち寄った。大船渡港が見渡せる展望デッキや展示室などある立派な建物がここは全て津波で無くなりその後に新設されたようだ。ここで食べた「帆立いくら丼:2200円」が新鮮で美味しかった。

 
大船渡魚市場 帆立いくら丼
 
 ここから「盛」駅まで歩いて三陸鉄道南リアス線に乗り変えた、午後から降り始めた雨が強くなりそうなので歩く予定を変更して民宿のある三陸町まで電車に乗った。

 盛(さかり)駅から三番目の駅が「恋し浜駅(こいしはまえき)というロマンチックな名前の駅があった。「ここで3分間停車します」とのアナウンスがあった。震災時の話をしてくれた前の座席のおばさんから「写真を撮って来たら、みんな撮ってるよ」と言われ慌ててカメラをバックから出してホームに出た。

 若い人が盛んにシャッターを押していた、ホームには「しあわせの鐘」も設置しており、恋愛成就のパワースポットとして人気を集めているらしい。
   
三陸鉄道・南リアス線「恋し浜駅」
 三陸駅で降りると雨が降っている。三回の津波に耐えた「ど根性ポプラ」を見てから高台にある八幡神社に着いてみると、社(やしろ)の右側に大きな千年杉が見え、その反対の左奥には壁のように巨大な、あの三陸大王杉があった。
   
八幡神社の階段を登ると樹齢700年の三陸大王杉
   宿へ向かう途中に越喜来(おきらい)湾が見える場所に「未音崎湾望台」という看板が出ている場所があった。小石に住所・名前を書いて下さいとあったが・・書くものがなかったので大震災で亡くなられた方の鎮魂の祈りをささげた。
 
鎮魂の祈りの場所 

   平田ー釜石(四日目・6月3日)
    民宿の朝も早く起きたので近くで巨大な防波堤工事を見て回ったがその大工事の光景に圧倒される思いだ、何か自然に逆らっているようでこれで住民の生命の安全が将来共に守られるのか、複雑な気持ちになる。
漁港には数隻の新しい小型船が繋がれていたが、そこへ小型トラックが来て中から赤ちゃんを背負った女性と年配の女性が降り立ち忙しく準備している、聞いたみたらもうすぐ父ちゃんと子供がアワビを採りに行った船が帰ってくるという。
待っていると年配者と2名の若者がを乗せた小型船がプラBOXいっぱいのアワビを陸に上げ直ぐに待ち構えた女性が小屋の中でアワビを割って実を出す作業を始めた。

海が見える部屋で朝食を食べていると宿のおかみが挨拶に来た、先ほど見てきた工事中の巨大な防波堤のことを話したら・・

「私は子供の時からこの海は砂浜がありその向こうに青い美しい海が広がっている景色を眺めて育ってきましたよ。今の工事が完成するとコンクリートの壁を見ながら暮すことになります、まるで刑務所のようですよ」と、話してくれるおかみさんの顔がとても寂しそうであった。その後採りたてのウニをご馳走してくれた。
 
巨大な防波堤工事が進行中
   今日は三陸町から唐丹(とうに)まで電車で、唐丹から釜石まで歩く予定だった。しかし唐丹から平田(ていた)に抜ける石塚峠への道が交通止めになっていることが分かった。ここは無理をしないで平田(ていた)で降りて釜石まで歩こう、途中の「鉄の歴史館」も見学することにした。

石塚峠越えが交通止めで中止の表示のMAP
平田駅(ていたえき) 釜石に向けて歩く

 釜石までの道は国道45号線で車の量も多く特に工事用の大型車もひっきりなしに走っているので騒音と排気ガスで最悪の道になっている、少し歩くと「鉄の歴史館」の表示看板があり左折して丘を登っているとその展示館があった。

世界遺産の橋野高炉跡三番高炉の原寸大模型を中央にして音と光と映像によって釜石の鉄の歴史を幻想的に展開しているシアターで映像を見たり、鉄文化の黎明、近代製鉄の発進 心の中の鉄と題する鉄にまつわる生活の知恵、諺、人と鉄の関係、宗教と鉄などの解説した展示が面白かった。展望ラウンジからは釜石湾を一望できた。流石に鉄の街釜石であった。

釜石駅まで歩いたが思ったより市内が狭かったことや、東北新幹線との接続列車が少なく公共交通機関はまだ不便でこの地方の観光には自家用車かレンタカーを利用した方が良いと感じた。

       


  釜石(三日目・4月23日)
   
 釜石市は鉄の街だ、駅前にドーンと新日鉄住金の大きな工場がある。昨日埠頭や市場など見学したので早い時間の快速列車に変更して帰宅することにした。釜石から東北新幹線駅の新花巻駅まで2時間かかったが車窓からの風景を眺めていると時間が経つのも忘れた。
 
 釜石市内(震災時には一階の天井まで津波が押し寄せ大きな被害を受けた)
 田植えが始まったばかりの様子

 「みちのく潮風トレイル」を歩いて感じたこと
 気仙沼から釜石区間では復興工事がまだ続いている状況で環境省が整備している「みちのく潮風トレイル」の整備はこれからと言う状況であった。
多くの親切を受けた旅であった

 旅では震災では何らかの被害を受けた人々の復興への努力を感じた。また数々の思いやりや親切を受けた。気仙沼駅から「巨釜・半造」まで送ってくれた西城さん、碁石海岸駅で車で送ってくれたおばさん、観光案内のような詳しい説明をしてくれた運転手、採れたてのウニを食べさせてくれた民宿のおかみさん、大島の亀山まで案内してくれたおじさん、雨の中で落とした携帯傘のカバーを走って持って来てくれた工事の人、などなど親切を受けたみちのくの皆さんに感謝とお礼を申し上げたい。

 この道を歩こうと思う人は年齢、体力さまざまである、一人の時もあれば数人になる場合もある。完歩した喜びを味わうために10〜20kmを一区間として各コースの出発点表示があればと感じた。

 騒音と排気ガスがヒドイので国道は出来る限り避ける、県道も歩道がなく安全でないところが多かった。また左右に別れる道には必ずリボンのようなもの付けて不安なして歩けるように、現状はまだ少なすぎるし迷ってしまうところが多かった。高年齢者の一人旅でも不安なく歩けるような工夫が必要である。

 景勝地、観光地でも道の表示は必ず必要である。碁石海岸などでは半島を回るようになっているがトレイユの道が表示がないから解らない。これからは外国人でも短期間で安心して歩けるような道にして欲しい。これには沿道の行政の協力や住民の理解も必要であると感じた。


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