2003年4月


毎年3月1日は対日独立運動の記念日で韓国では休日です、友人とソウルの北にある江原道の鐡原(チョロウン)市に行きました。ソウルから100キロぐらいのところですからすぐ隣は北朝鮮です。この町の人口は5万5千人ですが韓国軍も同じぐらい駐留しています。

普通観光客は市内で登録し許可を取った人達が軍隊の先導で車を連ねて見学することが出来ますが私たちは地元の安さんの許可証で休戦ラインまで自由に行ってきました、周囲は田畑とところどころに地雷注意の立て札がありました、田植え前ですから人影も少なく静かでした、ハンターは来ませんから自然が保たれていて野鳥の天国です。休戦ラインの中には絶滅してと言われている虎がいるはずという話があります、安さん曰く軍隊に居た時は虎の足跡を見たので生きていても不思議ではないと話してくれました。

非武装地帯から帰ってきた韓国軍。
右は非武装地帯、正面は韓国軍の防御土嚢。


近くに北朝鮮が南進のため掘ったトンネル(第二)があります、観光客が内部まで見られるようになっていますが写真撮影は禁止です、ヘルメットを貸し出しから入場者のチェック、など全て兵隊が管理しています、内部の案内も全て韓国兵が付いて説明してます。このトンネルは高さ1.8m 幅2m 全長3.5q です、休戦ラインから韓国側に1.1km入ったところで韓国側に発見され中断されました。現在では内部は照明され換気装置もあり観光名所になりつつあります、トンネル内で発見された北朝鮮軍が残し逃走した遺物が出口の近くにある展示館に展示されていました。

案内してくれた、安さん(45)
北側が掘ったトンネルの断面図
 


白馬高地は朝鮮戦争(韓国戦争)で最も激しい決戦地であった1952年10月6日の中共軍の大攻勢により10日間で双方で30万発の砲弾が炸裂し高地の主人が24回代わった。砲弾により山が変形し土ぼこりと死体が絡み合い白馬が横たわったような姿になったので白馬高地と呼ばれた。この戦闘で中共軍は1万4千名が死傷し2個師団が壊滅した、最終的に韓国第9師団はここで大勝して白馬師団と命名された。当時この白馬高地の死守のために勇敢に戦った将兵の霊を弔うためにこの碑が建設されました。

戦勝記念碑
右に白馬高地、左は北側の山です。


月井里(ウオルチョンリ)駅は北朝鮮の元山(ウオンサン)まで列車がここで休んだところで非武装地帯の南方限界線に隣接して駅舎だけが残っている。「鐵馬は走りたい」と書いた看板の下に朝鮮戦争当時の北朝鮮人民軍の貨物列車が不恰好なまま横たわっています。

月井里駅舎、今は観光名所の一つです。 人民軍の貨車、銃弾の跡が当時を思い出させる。

下記の橋は「承日橋」と呼ばれています、向こう側は当時の李承晩大統領時代につくりこちら側は当時の北側の金日成が作ったのでそう呼ばれています、朝鮮戦争が始まる少し前は両陣営が仲良く暮らしていた時代が少しあった訳です。付近は日本時代には沢山の日本人が住んでいたようですがいまは畑ばかりになっていて当時の氷を保管したコンクリート製の氷室がポツンとありました。

承日派橋・手前が北側が向こう側は韓国側が作りました。
畑の中にある氷室は日本時代のもの。


非武装地帯はむろんその付近は立ち入りに制限がありますから野性動物や野鳥の天国です、鷲や雁、鶴が至る所にいます、特に鶴は直ぐそばで見られます。

雁のむれ、野鳥の天国です。
昼食はアヒルの炭焼き肉でした。
 


鐵原市では観光開発に力を入れています、外国人観光客の中では国により特徴がありますと安さんが説明してくれた。日本人は日本時代の月井里駅跡の見学が多く、中国人は激しい戦いのあった白馬高地の見学希望が多い、米国人は北が掘ったトンネルなのだそうです、それぞれの国が過去とのかかわりをあらわしているようです。北朝鮮に対して現在どう思っているかとの月並みな質問に「隣の人ですから緊張感はありません、現在は交流が進んでいるし広がっています、あと10年〜15年の間に統一できるでしょう」と安さんの話は非常に楽観的でしたがそうなるかどうか私は疑問です。

 



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