歴史教科書と靖国神社

2001年8月
  今回初めて問題の歴史教科書を手に取って読んで見ました。あれほど一部の人々が未公表の段階から騒ぎ論議を集めたのですが、修正を経て出来上がったものを読んで見ると私には「普通の教科書」ではと感じました。一般の日本人であればおそらく同じような感じを持つ人が多いのではないでしょうか。少し見方を変えると従来の歴史教科書がとても普通ではない「自虐的な深刻な問題」をはらんだものだったのかと考えてしまいました。これを機会にあらためて「そもそも歴史とは何なのか」をより成熟した目で深く考える必要があると痛感した次第です。

しかし、この教科書のまえがきにある「歴史を学ぶとは」に書かれている内容に新しい考え方で魅力を感じている人も多いのですが私は日韓関係に関しては納得できません。

「歴史を学ぶことは、過去の事実を知る事ではない、過去の事実について過去の人がどう考えていたか学ぶことである。過去の不正や不公平を裁いたり告発したりする事でなくそれぞれの時代には、それぞれの時代に特有の善悪があり、特有の幸福があった」

と記しています、もしそうであるなら韓国に対しての侵略も正当化できるのではないか、これでは被害者である韓国人を納得させる内容ではありません,この考え方に沿った編集がされているとしたら問題です。

新しい歴史教科書 日本糾弾
扶蓉社発行の「つくる会の教科書」 日の丸に火をつけて投げつける市民団体メンバー

韓国は教科書問題では依然として「歪曲された教科書は許せない」と激しく非難しています、また小泉総理の靖国への参拝に対しても「軍国主義への道」と言ってやはり非難しています。私も含めて多くの日本人は最近の日本国の動きを軍国主義の復活だとか近隣諸国への再侵略などとか考えることはまずないはずこと、また近隣を含めた世界の国との平和的な国際環境の元での貿易でしか日本が繁栄を維持できないことは誰でも解っている筈です。しかしこのギャップが現実としてあることを日本も理解する必要があります。

教科書問題では日韓の間には基本的なスレ違いがあります。韓国側は自らの主張、見解に合わない記述は「わい曲」として決して認めようとせず、これに対し日本側は歴史の見方には多様な見解がありそれは認められるべきであるとの見解です。また韓国からの指摘は私のような素人には難しく基本的には双方の見解の違いであるから、一致しない問題は両国の学界で意見調整をすればよいと思うのですが、韓国側は日本の教科書検定制度に理解を示さず、日本政府に対し韓国側の立場、見解にしたがって修正するよう一方的に要求を突き付けたことにも問題があります。

日本国内でも教科書問題や靖国神社問題では「偏狭なナショナリズム」とかの議論が起こっています。日本の中でもいろいろな意見があるのと同じように反日で見事に統一されているかと思っていた韓国のでもよく見るとごく一部であるが冷静な対応をすべきという意見もあるのです。韓国の報道の一部を要点のみ下記に紹介します。(文中、青色で書かれた部分は私のコメントです)


日本糾弾、韓国全土に広がる 朝鮮日報 6月
鉄道庁、日本語案内放送を中止 朝鮮日報 6月
広告市場にまで影響 中央日報 7月
韓日文化交流のジレンマ 朝鮮日報 7月
対日強硬策は百害あって一利なし 中央日報 8月
感情的な対応は控えるべき 東和日報 7月
「靖国参拝」糾弾集会 朝鮮日報 8月
書店は反日書籍のブーム 朝鮮日報 8月

  8月15日は韓国では「光復節」といって日本の植民地支配から独立した記念日で休日となっています。
この日はマスコミも過去の日本支配に関する報道がありどうしても反日的な雰囲気が出て在韓に日本人には家に引きこもって過ごす人が多いのです。

今年の式典で金大中大統領は日本の歴史歪曲,及び小泉純一郎首相の靖国参拝問題と関連し、「韓国国民は確実な歴史認識を土台にした上で、両国関係が正しい方向に発展していくことを強く希望している」と述べた。また「歴史問題は過去だけでなく、現在の問題であり、未来の問題だ」としながら、「韓国民族に加えた数多い加害事実を忘却したり、無視しようとする人たちとは、よい友たちになれない。また、安心して未来を共にすることができるだろうかというのが、韓国国民の心情だ」との大統領の言葉が殆どの韓国人の気持ちを表していると思いますし私は理解出来る話だと思います。同時に当初日本政府に対し修正などの可能性の少ない要求を出し外交問題としてしまったのか、もっと冷静に対処出来なかったかという気持ちも同時に持ちます。

しかしこうした問題が繰り返し起きるのは理由があると思います。一つは、この問題が外交上日本に対して有利に立とうとする考え方や国民の批判を一時的に内政から外に向けさせようとする政府の政策的意図に利用されていること。二つ目は日本政府及び日本人の謝罪が韓国の人々の心に届いていないことだと思うのです。

私は韓国に住んで感じるのは二つ目の理由の方がはるかに大きいように思います。私の出会った韓国人は「何で日本政府は謝罪をしないんだろう。」と疑問に思っている人が多い。逆に日本人には「これまで日本はもう何回も謝罪しているのにまだ足りないのか」と考えています。このあたりの認識のギャップが問題をこじらせているように思うのです。 靖国問題も韓国人にはなぜ参拝するのか、韓国・中国に対し侵略を反省せず日本の強いところを見せたいのではないかこのため反対があっても参拝を強行し軍国主義を復活するつもりかもしれないと考える人が事実いるのです。

私の住んでいる近くで見る反日看板(韓国人の怒りが伝わってきます)
工場に近くのアパートのフェンスにて
教科書 歪曲,神社参拝 とは何と云う事か!
精神を立て直し歴史認識を正しく立て直せ!
(韓国自由連盟龍仁支部浦谷面指導委員会)
私の住んでいる近くにある横断報道にて
日本製品,日本たばこ 不買を通して歴史認識(日本の)を正そう。(ソンナム市光復会)

歴史教科書問題や靖国参拝問題は外交上の問題と国民感情の問題と切り離して考えるべきだと思います。この問題を単純な外交問題としてドライに片付けようとする限り、将来もずっと似たような問題が繰り返されると思います。われわれ日本人は謝罪の気持ちがアジアの人々に届くようにもっと努力すべきです。そうすれば「日本には歴史認識に異なる見方が存在する」という考えがもっと受け入れられやすくなると思います。このためには政府に任せずにもっと民間の相互交流を通してお互いを理解する機会を作らなければならないと思います。希望を持って努力して行く事が大切で諦めずに今後とも相互理解に頑張らなければと感じた次第です。

しかしいつも感じるのだが日本発の韓国新聞記者のニュースは自国に都合の良いことが非常に多く、日本の韓国に関するニュースは日本政府がどう考えているかより、韓国が日本をどう見ているかが強調され過ぎて日本政府の考え方を発信するニュースが少ないように思います。特に一部の新聞にはその傾向が強いです。両国のマスメディアは問題が発生した時だけ騒ぐだけで普段から冷静に相互理解のための報道という点では全く努力不足だといえると思います。日頃から歴史認識の共有化のための橋渡しの努力をもっとすべきではないでしょうか。


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